今日は
わたし自身が気づいた
生き方のコツを共有したいと思います。
もし 体得できれば
人生は今よりずっと楽になり
人との関係性も 築きやすくなり
なにより
人生で起きることを意図的にデザインできる領域が増えるはずです。
でも、
コツは知るだけでは機能しません。
使いこなすための訓練が必要です。
わたし自身、まだまだ練習中ですが
その価値があると強く感じています。
では今日も結論からいきましょう。
ズバリ
【感謝と観察の両立】です。
なんだ、
と思ったあなた、
ちょっとお待ちください。
使いふるされた言葉なので
脳は瞬時に
『それ知ってる』と
過去の経験と照らし合わせて
意味づけをしてしまいますが、
ここがいちばん危ないところです。
なぜなら
この『脳の認識パターン』という特性が
わたしたちから
『ありのままを観る』感覚を奪っているからです。
ちなみに ありのままを観るとは
①できるだけ歪(ゆが)みなく
②感覚によって色づけ(意味付け)せず
③純粋な情報を受けとる
ことを指します。
そんなわけで
古いデータも尊重しつつ
新しいデータを取り込むことで
より可能性を広げられるのだ、
という視点で
読み進めてもらえればと思います。
さて、
主題に戻りましょう。
【感謝と観察の両立】
これ、一体どういうことかというと
①大前提としての 存在への感謝、と
②五感(目耳鼻口皮膚)から取り込む情報の精度を上げる
ことを両立させるということです。
まだ少し表現の仕方が抽象的なので
具体例を挙げてみます。
あなたが少し苦手と感じている知人と会うことになったとしましょう。
約束の時間になり
待ち合わせ場所に知人がやってきます。
あなたの頭の中では
・正直 会いたくないな
・何を話そう
・ヘタなことは言わないようにしないと
・わたしのこと どう思うんだろうetc
などの作戦会議が
めまぐるしく行われるかもしれません。
ここで、先程のトラの巻(笑)を
応用するわけです。
まず、①の
大前提としての 存在への感謝。
以前、
自分以外の存在がいないと
わたしたちは世界を認識することができないという説明をしましたが
ということは
キレイごとでも なんでもなく、
その苦手な知人も
あなたにとっては
『世界の一部を創る』という重要な役割を果たしてくれている時点で貴重な存在ということになるわけです。
感謝というのは
【肯定や賛美とは違う】ものなので
とりあえず『自分以外』として認識できるものすべてに対し、
それが自分にとって
都合が良い悪いに関わらず
心地よい 心地よくないに関わらず、
わたしの世界の一部を創ってくれてありがとう、という感覚を
【頭による理解】
とともに存在させることが重要です。
そうすると、
苦手だなという感覚はそのままに
とりあえず
存在そのものに感謝するのが筋(すじ)だな、ということが【頭】でも理解できます。
その感覚を掴(つか)むと
少し緊張が溶けて
肩の力を抜くことができるはずです。
なぜなら
相手は【無条件に感謝する価値がある存在】という対象になるわけですから。
さて、次に②を応用させます。
なぜなら①の感覚だけで満足すると
かえって判断を誤る場合があるからです。
というのは
大前提としての感謝は ある意味『筋(すじ
)』ではあるものの
物理的に身を守るためには
相手や対象物、あるいは状況と
『適切な距離をとる』ことが必要である場合がままあるからです。
例えば
相手は【無条件に感謝する価値がある存在】だから、といって
極端なことを言えば
殺人犯に自分から近づいていく必要はないわけです。
仏陀やヨガナンダ、
その他 悟りを開いたといわれる
スーパースターレベル(笑)の人なら
関係ないのかもしれませんが、、
とにかく重要なのは【両立】です。
感謝しつつ
冷静に観察しなければいけません。
特に感覚的なタイプの場合、
決して理性を失ってはいけないと言い聞かせて やっと程々のバランスが取れる、
と思っておいてもいいかもしれません。
では、次に観察についてみてみましょう。
②五感(目耳鼻口皮膚)から取り込む情報の精度を上げる
これは どういうことかというと、
【『存在に対する感謝』の感覚を維持したまま】
『敬意を持って』かつ『冷静に』
相手の様子を観察する、ということです。
ここでのポイントは
極力、自分の好き嫌いや
過去の経験によって構築された価値観で
『評価』『判断』しないことです。
・どのように世界を認識しているか
・どのように世界を定義しているか
・どのように物事を受け止めているか
・表情は
・口調は
・声色(こわいろ)は
・目つきはetc
以上は対象が人の場合の
五感から取り込む情報の精度を上げるために必要な『観察のイロハ』になります。
さて、このとき
意識の矢印は
自分ではなく 相手の方を向いています。
このようにして
相手の認識している世界を
感情、あるいは評価・判断抜きに観察できるようになると
動物的本能によって
『違うモノは敵である』
=『違和感は危険信号である』
=『防御しなくては』
=『、、、コワイ』
という原始的な感覚のみの状態から
一歩はみ出して
『違うモノは面白い』面もある
という世界が観(み)えてくるようになります。
結果として
頭で あるいは
感覚的に相手を受け入れる(感謝の概念を前提条件にする)だけでなく
行動によって、
行動を伴わせて、
相手の観ている世界を認める、あるいは受け入れるという作業をしていることになります。
すると
無意識に評価や判断をしていたときには価値を見いだせずに
聞き流していたり 軽蔑(けいべつ)さえしていた情報に 面白さを感じるなどの変化が起こり
結果、世界が広がり始めます。
また、
相手は あなたに受け入れられていると感じるので 価値観は相容(あいい)れずとも
あなたと相手の間には
心地よい空気が流れるはずです。
または多少の違和感にも
ストレスではなく『面白さ』を感じることができるようになるかもしれません。
さて、
逆に最初に挙げた心理状態の例に戻ってみます。
・正直 会いたくないな
・何を話そう
・ヘタなことは言わないようにしないと
・わたしのこと どう思うんだろうetc
これらはすべて
意識の矢印が自分の方を向いていることに
気づきませんか。
つまり、
自分中心かつ
自分の身を守ることにばかり
意識が向いていて
相手を観察する、
つまりしっかり向き合う体勢がまるでないということです。
すると、
頭の中で妄想がふくらみ
いらぬ不安も湧いてきやすくなります。
いらぬ不安は、、
=頭の中で作られた世界(人)から発生します。
ということは、実は これが
いちばん大きな問題だったというわけです。
以上のことから
妄想の世界に存在する何かをみることで発生する『リアクション』ではなく、
大前提としての感謝の感覚を伴わせながら
現実の世界に存在する相手ときちんと向かい合い
目の前の状況を見極めた上での『リアクション』
=いまここ、に居る意識状態において
極力純粋な情報にもとづく【現実】をみることで発生するリアクションを
意図的に選んでいくことの重要性がお分かりいただけたでしょうか。
そしてそのためには
五感から取り込む情報の精度を上げるという、現実的な努力が必要なことも。
ちなみに妄想は逆の場合もあります。
というのも
よいイメージばかりを頭の中で作り上げて
目の前の人や物事をきちんと観察することを怠(おこた)れば、
命を失わないまでも
危険な目に遭うことは十分あり得るわけですから。
恋は盲目、という言葉が代表的な例でしょうか(笑)
まぁ、それはそれで
オモシロイ経験だった、と定義(意味付け)することもできるわけですが。
少し脱線しましたが
以上が
【感謝と観察】を両立させる、
という命題に関する具体的な内容と
それによって起きる変化です。
どうですか。
人との関係性が少し変わりそうな気がしませんか。
自分の反応やそれに伴う物事の展開も
意図してデザイン(選択)できるような気がしませんか。
最後に重要なポイントですが
一般的に負(ふ)と定義されるような感覚
つまり、違和感や嫌悪感などが自分の中に湧いてきたときに
それを消そうとか否定しようなどとは思わないことは とても大切です。
なぜなら
その感覚は いま【自分が認識している世界】における 貴重な自分の反応だからです。
どういう感覚 感情が湧いてくるかによって
自分がどのように世界を認識している(物事を定義している)かが より明確にみえてくるので
むしろ
感情や感覚を否定するのではなく
ある人や物事の状態に対し
今の自分は このように反応するんだなぁと その感情 感覚をむしろしっかりと眺めながら
第三者の目線で自分自身を『観察』することに労力を割くほうが よっぽど建設的です。
こうして
経験によって得られた収穫材料をもとに
自分の認識の傾向や偏(かたよ)りを知り
より五感の精度を上げることで
ありのままの現実を観る能力を磨き、
結果、
人生の主導権を自分が握(にぎ)って
自由に舵(かじ)取りをし
この人生ゲームを
より『オモシロイ』ものにデザインしていく。
悟空も最初は弱かった。(笑)
ゾロも最初は弱かった。(笑)
でも訓練と練習と実践を積むことで
必ず精度は上がっていくものです。
あきらめずに
苦しみが楽しみに変わる世界を目指してみてはいかがでしょうか。
せっかくその切符をもらったのだから。
選択はいつも自由。
さあ、あなたは 何を選びますか?
ちなみにわたしは
焦らずマイペースに
あきらめない道を歩んでみようと思います。
ではまた
できれば近いうちに(笑)