このページを見に来てくれたあなたは
もしかすると
瞑想とか
仏教とか
ヨガとか
禅とか、、
あとは なにかしらの
スピリチュアル系など
悟りってなんだろう?
生きるってなんだろう?と疑問を抱き
数多(あまた)の情報の海を『航海』
してきたのではないでしょうか。
面白くもあるけれど、、
どちらかというと
辛さと混沌のほうが多くあった船旅(笑)
結構しんどかったのでは、、?
わたしは もうリタイアしたくなる寸前まで ヘトヘトになったクチです(笑)
さて、今から書こうとしていることは
あくまで 個人的な見解ですが
もしかすると
なにかの解決の一助になるかもしれないし
ならないかもしれません(笑)
前置きはともかく
本題に移りましょう(笑)
悟る、って
なんだか漠然としていて
特別な人(空海とか 笑)だけのもの
という気がしませんか。
わたしも例外ではありませんでした。
でも、、
実は ある意味では
現代を生きる私たちにとっては
すごくすごく簡単なことなんじゃないかということに、なんとなく気づいてしまったんです。
結論から言うと、、
悟るとは
【この世界のしくみ(法則)を知る】こと。
それだけ。
もう少し正確に言うと
【根本的なしくみを知る】
ということ。
少し乱暴な言い方をすると
デジカメのトリセツ(取り扱い説明書)を読むこととか
アプリの使い方のページを読む
とかと同じようなこと。
しくみを知る、
ただそれだけのことなんじゃないかなと。
ちょっと だいぶ
乱暴すぎる言い方なので
叱られそうですね(笑)
なんのこっちゃ よくわからん
と思われたかもしれませんが
たぶん そんなにズレてはいないんじゃないかと思うのです。
なぜ
取説(トリセツ)を読むことや アプリの使い方のページを読むことなど
一見 突拍子もないような例を持ち出したのか、
私なりに説明してみようと思いますので、しばしお付き合いくださいね。
2015年現在、
物理 、、物(モノ)の理(コトワリ)
の研究が勢いを増して深まっていると
個人的には思っているのですが
(スーパーコンピューター
『京』の大活躍のおかげもあるとか)
物事の真髄、、
すなわち
この世界に関する
オオモト(大元)のコトワリ(理)
つまり
根本的に どういうしくみで
この世界が成り立っているか
が、数学的に解明されつつあるのが
まさに『今』
この時代なのではないかと
個人的には思っています。
ということはつまり
この世界の根本的なしくみに関する
分かりやすい『トリセツ』が完成しつつあって
誰もが悟れる、、
つまり モノのコトワリの
一番軸になる部分を
『知る=悟る』ことができる時代が
ついにやってきたのではないか?
といえるのではないかと思うのです。
あいにく
デジカメやアプリと違って
人間が作ったものではない
『この世界そのもの』に関してはトリセツがなく、
うんと昔は
お釈迦さまが
『世界のしくみってこういうことなんじゃないか?』というところにたどりついたものの
残念ながら
数学的な説明ではなかったので
解釈がバラバラになってしまったり
感覚的に掴(つか)めるまで
それこそ禅問答を繰り返しながら
修行&探求するしかない特別なもの、
になってしまったように思います。
ほかにも
中国の陰陽五行は
かなり数学的な図式に近いきれいな形
すなわち『方程式』のように
分かりやすくまとめられていて
例えば
私たち自身がかつて
数学を習ったときにそうであったように(笑)
方程式そのものの意味や成り立ちが分からなくても
式に当てはめさえすれば
(ここでいえば 陰陽と木火土金水の図式)
誰もが誤解なく 共通認識を持ち
実行に移した上で
『同じ答え』にたどりつける
優良な『この世界のトリセツ』、
これが 陰陽五行なのではないかと
個人的には思っているのですが
一番軸になるコトワリ
(般若心経でいうところの
色即是空 空即是色といったところでしょうか)
に関しては
あまり多くが語られていないような印象があり、
あくまでも
『五感で認識できるモノのしくみ』
を主軸にしている
『この世界のトリセツ』といえるのではないかと思うのです。
となると
『根本的なしくみ』ではないので
もうあと一歩、足りません。
さて、
ここからが『科学』の登場です。
いつまでも
天災は『神の怒りだ』とか
病気は『悪魔の呪いだ』
とか言ってても仕方がないので
というのは言い過ぎですが(笑)
感覚で答えを求めても
意見はバラバラになる一方なので
科学技術の発達を皮切りに
みんなで あれこれ
物理的に分解しはじめ
昔 少年が
ぜんまい時計やステレオをバラバラに分解して どういう仕組みになっているのかを知ろうとしたように、
近頃のわたしが やたら
生活に関わるモノに関して
どんな原料で
そもそも どこでどんなふうに育った植物(動物)で
どんな製造工程を経て
今 手元にある形になったのかに
興味津々であるように(笑)
科学者、物理学者さんたちは
さらにその先をいく
材料そのものをバラバラにして
分子、原子、素粒子、そのまた先へと
分解をすすめて
なにからできてるんだろう?
どういう法則がはたらいているんだろう?
と探求し続けてきたわけです。
すると、色々な法則が見えてきて
それを数式で表すことによって
みんなでちゃんと『同じ』解釈ができるようになってきました。
これが大事なんですよね。
『数学』による
ズレのない共通認識。
これによって
誰もが同じ答えにたどりつくことができるようになったわけです。
悪魔だとか神の怒りだとかじゃなく。
これも ある意味では
ズレのない共通認識ではあるのですが(笑)
ところで、すでに苦い経験をお持ちかもしれませんが
感覚でつかんだ法則は
いくら説明しても
人によって解釈にズレが生じます。
つまりハナシが通じないということです。
1+1が2ではなくて
いや 3じゃないか?
いやいや4でしょ。
いやいや1にちがいない。
最悪の場合
同じように1+1=2と
表面上は理解しあっているように見えて
1や2の定義そのものがズレていたり、、
というように
答えがバラバラになってしまって、
極端なことをいえば
そのせいで
何々派
何々派
と 意見が別れていってしまいます。
1+1=3を信じる宗教と
1+1=1を信じる宗教で
ケンカしちゃうわけです。
しかも どっちも違う(笑)
もともと最初に解にたどりついた人たちは それぞれちゃんと正しい答えにたどりついていたのに
その解を感覚的に理解しようとしたがために『人によって』答えがかわってしまった、、
そして、、
そのあやふやな解を頑(かたく)なに信じて
主張した人たちの間で
争いや戦いが起きてきたのが これまでの人類の歴史でもあり
今も続く紛争の原因でもあるのだと思います。
以上は
数学がないことによる悲劇であり
逆に 数式が
『美しい』という言葉で表現される由縁(ゆえん)でもあると思うわけです。
だって
例外なく みんなが
同じ答えにたどりつくことができるのだから!
大体、数学のテストで
正解がいくつもあってケンカするなんて
聞いたことないですよね。
正解にたどりつくまでの方法は
いくつもある、という場合はあっても。
ちょっと話が横道にそれましたが
こうして
ズレのない理解が可能となるような
数学に基づいた
【この世界の根本的なしくみ】に関するトリセツができあがりつつあるのが
『今』現代であり
脳を発達させ
考えることができるようになった人間ならではの能力であるところの
『数学』の功績によって
信じる信じない、ではなく
そのしくみを
知っているか知らないか、
1+1=2であると信じるのではなく
1+1=2であると知っている
というところに
人々の意識(認識)が変わりつつある
つまり
かつて悟りを開いたと言われる僧侶たちのように感覚的に体得するために 修行しなくても
わたしたちには
悟りへの道が開かれつつある
=根本的なしくみについて知ることができる
時代が すぐそこまできているのではないか、というのが 今現在のわたしの見解です。
悟るって
そういうことだったのか、
というひとつの結論を
私の中で導き出したのは
そういうわけがあってのことだったのでした。