ガリ版原紙(ストーク修復㊱) | オバサン、52歳からのオートバイ挑戦日記

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2021年9月18日 土曜日

 

ちょっと印刷したいなら、

 

誰もがコピー機を使うだろう、 

 

 

機械のガラス面に原紙をセットして

 

ボタン操作で、たちどころに複写された紙が出てくる優れモノ、

 

 

コピーの機械はコンビニに行けば必ずあるし、

 

プリンターを持っている人なら、

 

個人で簡単に印刷ができてしまう

 

 

でも、

 

「コピーする」という言葉が、当たり前のように使われる前、

 

つまり、

 

世の中にコピー機が登場する前は、

 

ガリ版がその役目をになっていた

 

 

1893年、

 

シカゴ万博でエジソンが発明した印刷機「ミメオグラフ」を目にした

 

近江商人の堀井新次郎は、

 

 

この印刷機に感銘を受け、

 

日本に普及させようと一大決心、

 

 

ミメオグラフを日本風に改良した印刷機を発明、

 

1894年、謄写版印刷機を発売した

 

 

謄写版印刷は、

 

ロウ引きした原紙をやすりの上に置いて、鉄筆で書いて製版する、

 

 

鉄筆で書くときに、

 

ガリガリと音がするから、

 

「ガリ版印刷」とニックネームがついた、

 

 

ガリ版の原紙は、

 

薄いガンピ紙が最適だった、

 

 

薄いガンピ紙を手漉きする土佐や美濃では、

 

日本中の需要に応え 

 

大量のガンピ紙を手漉きした、

 

 

しかし、

 

1970年、国産初のコピー機発売、

 

コピー機の普及ともに、ガリ版印刷は衰退し、

 

当然、手漉きガンピ紙の需要も減っていった、

 

 

ストークが完成したのは1976年、

 

世界記録更新したのは1977年、

 

 

ちょうどガリ版とコピーの世代交代が緩やかに進んでいたころ

 

まだまだ、大量に薄いガンピ紙が手漉きされていたころなのだ、

 

 

2021年9月18日 土曜日、

 

修復用に入手した極薄ガンピ紙は、

 

46年前と違い過ぎて、

 

張り替えは暗礁に乗り上げている、

 

 

国立科学博物館の鈴木さんに相談したら、

 

知人の経師職人さんに電話してみようということになった、

 

 

 

 

 

この日、

 

高知の吉岡模型さんから見本の和紙が届いた、

 

石井さんがガンピ紙の窮状を吉岡さんに伝えたら

 

土佐の紙博物館からガンピ紙を入手し、

 

送ってくださったのだ、

 

 

いろんな人の応援を受けて、

 

修復が進んでゆく、

 

 

朝食

鮭(大関さんの差し入れ)、ごはん、味噌汁、納豆

 

 

昼食

バナナとクルミとレーズンのホットケーキ、リンゴ、柿、コーヒー

 

夕食

手巻き寿司、ホタテ貝のバター焼き

 

 

 

 

↑上の罫線入りの方がガリ版原紙(ロウ引きされたガンピ紙)

下の方が修復に使用した機械漉きのガンピ紙