L6食堂(ストーク修復⑩) | オバサン、52歳からのオートバイ挑戦日記

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夫のオートバイといっしょに、出会ったこと、感動したこと、書いています。
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2021年8月24日 火曜日
 
ストークがロールアウトした年、

 

1976年はうるう年だった。

 

1976年2月29日、

 

真っ白な美しいストークが日大格納庫から出てきてた、

 

 

ロールアウトとは、

 

完成した飛行機が生産工場から初めて出てくることだ。

 

 

ストークの生産工場は、

 

日大の格納庫だ。

 

 

その格納庫には広い作業スペースと、

向かって右端から、石井、生出、中央の長机に小原、神原、金井、奥に、富さん、左端は高橋、大関、

 

 

 

計算したり、夜食を作ったりできる小部屋と、

向かって右から、生出、高橋、石井

 

 

メンバーが寝泊まりできるロフトがあった。

向かって右から、大関、土本、生出、小原、石井

 

 

石井さんの設計資料には、

 

卒業研究に人力飛行機を希望し、

 

集まってきたメンバーが、

 

誰かどこを担当するかを、決めた記録が残っている。

 

 

1975年3月19日、

 

主翼、石井、生出、金井、中禮、X

 

伝・胴、小美濃、香月、土本、

 

尾翼と後部胴体、大関、X

 

プロペラ、小原、 神原、

 

 

 

・・・・・。

 

え?3月?

 

石井さんたち、まだ、大学3年じゃないですか!

 

大学3年生の春休みには、もう卒業研究をスタートしたのね!

 

すごい、やる気です!

 

 

1975年3月19日から、1976年2月29日のロールアウトまで、

 

11名のメンバーたちは、格納庫で寝食を共にし、

 

無我夢中でストークを作ったのね!

 

 

あれから、46年、

 

紅顔の青年たちは、還暦を越え、

 

再び、ストークのもとにやってきた。

 

 

国の宝となった青春の証を修復するために。

 

 

 

だが、現実は厳しい。

 

 

1、当時の材料の入手困難、

 

2,ヒロサワ格納庫の作業時間の制限(朝9時~18時)

 

3,メンバーの健康問題、

 

 

 

私に何ができるだろう?

 

1,は難しいけれど、

 

3,ならお役に立てる。

 

私は宣言した。

 

「修復が終わるまで、私が修復メンバーの食事をつくります!L5は、作業部屋に、L6は、食堂にしましょう!」

 

 

↑2021年8月24日、ストーク中央翼前の石井(向かって右)と生出

 

 

 

~つづく~