1976年はうるう年だった。
1976年2月29日、
真っ白な美しいストークが日大格納庫から出てきてた、
ロールアウトとは、
完成した飛行機が生産工場から初めて出てくることだ。
ストークの生産工場は、
日大の格納庫だ。
その格納庫には広い作業スペースと、
向かって右端から、石井、生出、中央の長机に小原、神原、金井、奥に、富さん、左端は高橋、大関、
計算したり、夜食を作ったりできる小部屋と、
向かって右から、生出、高橋、石井
メンバーが寝泊まりできるロフトがあった。
向かって右から、大関、土本、生出、小原、石井
石井さんの設計資料には、
卒業研究に人力飛行機を希望し、
集まってきたメンバーが、
誰かどこを担当するかを、決めた記録が残っている。
1975年3月19日、
主翼、石井、生出、金井、中禮、X
伝・胴、小美濃、香月、土本、
尾翼と後部胴体、大関、X
プロペラ、小原、 神原、
・・・・・。
え?3月?
石井さんたち、まだ、大学3年じゃないですか!
大学3年生の春休みには、もう卒業研究をスタートしたのね!
すごい、やる気です!
1975年3月19日から、1976年2月29日のロールアウトまで、
11名のメンバーたちは、格納庫で寝食を共にし、
無我夢中でストークを作ったのね!
あれから、46年、
紅顔の青年たちは、還暦を越え、
再び、ストークのもとにやってきた。
国の宝となった青春の証を修復するために。
だが、現実は厳しい。
1、当時の材料の入手困難、
2,ヒロサワ格納庫の作業時間の制限(朝9時~18時)
3,メンバーの健康問題、
私に何ができるだろう?
1,は難しいけれど、
3,ならお役に立てる。
私は宣言した。
「修復が終わるまで、私が修復メンバーの食事をつくります!L5は、作業部屋に、L6は、食堂にしましょう!」
↑2021年8月24日、ストーク中央翼前の石井(向かって右)と生出
~つづく~