率直な意見。 -23ページ目

率直な意見。

個人の立場で個人の意見を。

報道の自由とは、事実の報道は政治や暴力で妨げるべきで無い、的な考え方。言論の自由とは、どんな意見もそれを持つこと、発表することは妨げるべきで無い、的な考え方。このふたつは似ているようで全く違う。前者は事実であり、後者は事実ではない。
メディアはこのふたつをズル賢くもワザと混同させている。混同されるとどうなるかといえば、どこまでが事実で、どこからが意見か、情報の受け手には全くわからない。メディアが報道しかしないなら、事実だけを言うべきだし、ある立場に立って意見を表明するなら、報道の仮面を被るべきではない。だがメディアはこの両方を情報の受け手にわからないように混ぜ、都合良く報道の自由、言論の自由を使い分けて自己弁護する。
事実を正しく知るためにはメディアの情報に対して適切なフィルターが必要で、今は不完全ながら、インターネットがその役割を担っている。インターネットそのものも胡散臭い情報の発信元だったりもするが、これだけ発信者が多元的であれば、量と質である程度のところで情報の振り分けをして、あとは自己責任で適宜判断、というのがインターネットのフィルター機能の利用法になっている。メディアはインターネットをライバル視、敵視するのではなく、メディアのフィルターとして受け入れるべきだろう。情報の受け手にメディアの存在価値を疑わせるほど情報のフィルターの必要性を感じさせたのは、信頼を失ったメディア自らが招いたことなのだから。
やっと朝日新聞が慰安婦の嘘を認めたが、遅きに失したと思う。日本と日本の歴史をこれほど故意に深く貶めた組織がかつてあったろうか、と思わざるを得ない。
私は朝日新聞を絶対に許さない。メディア、特に朝日新聞はどこからどこまでが報道で、どこからどこまでが意見が峻別して記事を出すべきだ。これ以上罪を重ねれば、本当に廃刊せざるを得なくなるだろう。