どちらかに有利なことはどちらかに不利。利益が相反しがちな国境を接した国同士でそのようなことがあるのは当然だろう。その解釈を一致させようと考えることそのものに元々無理があるが、韓国は珍しいことに歴史そのものの多くが史実に基づいてない捏造だ。何の根拠も無いものを考え出しては教科書に記載し、それを歴史として教えている。卒業した者は学校がまさか嘘を教えているとは思わないから、それを事実として認識したまま生きていくことになる。留学等で国外に出た者はすぐにそれらを嘘と知らなければならない時がやって来て、正しい歴史を、それを受け入れるかどうかは別にして、知ることになる。しかし国内に留まるものはそれらが間違っていることを知らず、新聞、テレビなどで特に日本との関係で日本の発言を聞いて、歴史を認めないとんでもない奴らだと感じるのだろう。
韓国は出版の自由もないし、漢字を捨ててハングルだけを教えるようになってから、自国が自ら語る古い史書に触れることができなくなった。戦前には良いこともあったと話す老人を殴り殺した若者の話を聞くと、正しい歴史を知る老人と知らない若者の断絶がそのレベルまで来ていると考えざるを得ない。
こういう間違った歴史を教えられた人たちとは、歴史認識の共有はおろか、話すべきテーマすら共通のものが見いだせないだろう。少なくとも近代日本は朝鮮と戦争をしたことがない。しかし韓国は日韓併合の前、日韓併合時代、第二次大戦後のいずれも戦争したと教えられている。戦争をしたことがないのに戦争を反省しろと言われても困惑するだけだが、韓国では嘘を歴史として教えているのでこんなことが起こる。日清戦争は、全く日本が余計なお世話をしたものだが、清が朝鮮に出兵して独立を脅かしたのを止めようとしたことから始まった。だから日清戦争の講和条約である下関条約では、真っ先に、清は朝鮮の独立を認める、と明記されたのだ。
日本人が認識している明確な日本と朝鮮半島の国々との戦争は、百済滅亡の時の白村江の戦いだが、広開土王の碑文から日本が朝鮮半島に拠点を持っただけでなく、百済が日本に臣従した、新羅を臣下に置いた、親日勢力が日本に味方したなどの記述から、それ以前に日本と朝鮮の国が戦争したらしいことはわかっている。白村江の戦いに話を戻すと、当時百済は日本に太子を送って臣下の礼を取っており、これを滅ぼすために新羅は創氏改名、つまり王自らが率先して中国風の名前に変え、百済を再興させないなら属国になっても良い、とまで言って唐の軍を引き入れた。日本が送った兵は唐軍に負けて逃げ帰り、水城が築かれたという話は日本の史実では明確だ。しかし韓国ではこれを教えていない。豊臣秀吉が明に攻め入るから道案内しろと言ったのを断って始まった慶長の役、文禄の役はもちろん教えられているが、緒戦で李舜臣が海戦で一次優勢になったが撤退して制海権を日本に掌握されたとは書いていない。
清の勃興期に朝鮮が属国からの独立を計って失敗し、既にあった門を迎恩門と改称させられ、清の使者が来るたび朝鮮国王が三跪九叩頭の礼を取らされたことも当然書いていない。
こういう間違った歴史を教えられた人たちとは、歴史認識の共有はおろか、話すべきテーマすら共通のものが見いだせないだろう。少なくとも近代日本は朝鮮と戦争をしたことがない。しかし韓国は日韓併合の前、日韓併合時代、第二次大戦後のいずれも戦争したと教えられている。戦争をしたことがないのに戦争を反省しろと言われても困惑するだけだが、韓国では嘘を歴史として教えているのでこんなことが起こる。日清戦争は、全く日本が余計なお世話をしたものだが、清が朝鮮に出兵して独立を脅かしたのを止めようとしたことから始まった。だから日清戦争の講和条約である下関条約では、真っ先に、清は朝鮮の独立を認める、と明記されたのだ。
日本人が認識している明確な日本と朝鮮半島の国々との戦争は、百済滅亡の時の白村江の戦いだが、広開土王の碑文から日本が朝鮮半島に拠点を持っただけでなく、百済が日本に臣従した、新羅を臣下に置いた、親日勢力が日本に味方したなどの記述から、それ以前に日本と朝鮮の国が戦争したらしいことはわかっている。白村江の戦いに話を戻すと、当時百済は日本に太子を送って臣下の礼を取っており、これを滅ぼすために新羅は創氏改名、つまり王自らが率先して中国風の名前に変え、百済を再興させないなら属国になっても良い、とまで言って唐の軍を引き入れた。日本が送った兵は唐軍に負けて逃げ帰り、水城が築かれたという話は日本の史実では明確だ。しかし韓国ではこれを教えていない。豊臣秀吉が明に攻め入るから道案内しろと言ったのを断って始まった慶長の役、文禄の役はもちろん教えられているが、緒戦で李舜臣が海戦で一次優勢になったが撤退して制海権を日本に掌握されたとは書いていない。
清の勃興期に朝鮮が属国からの独立を計って失敗し、既にあった門を迎恩門と改称させられ、清の使者が来るたび朝鮮国王が三跪九叩頭の礼を取らされたことも当然書いていない。
燕の支配下から燕人が割拠した衛氏朝鮮のあと、漢によって楽浪郡、帯方郡など中国の一地方となり、三国時代に至って楽浪郡を滅ぼしてようやく中国の影響を退けたものの、日本と結んだ百済、満州の一部を版図に収めた高句麗を滅ぼすために再び中国の軍を引き入れた新羅が再び中国に属して朝鮮半島を統一し、以降高麗、李氏朝鮮と中国の属国のまま日清戦争を迎えることになる。ちなみに高麗は元をそそのかして元寇を引き起こした。
しかし韓国ではそんな事実は全くないにも関わらず日本に植民地化されるまで独立国家だったと称しているし、元寇を引き起こさせたなど全く触れていない。それどころか、驚くことにかつて満州や中国の一部、日本が全て朝鮮の領土であったと教えている。日本は併合したのであって植民地にはしていない。植民地だったのは台湾である。もちろん台湾より朝鮮の方が待遇が良かった。
大きな戦争では必ず卑屈にかしずいて外国の兵を引き入れ、独力では戦わない。にも関わらず嘘ばかりで固めた虚構の物語を歴史として教えている。そんな朝鮮とどうして歴史認識の話ができるのだろう。まずは韓国が自国の歴史の教科書が嘘ばかりということを認めて、正しい歴史を書き起こすことから始めてもらわなければ、いつまで経っても話が噛み合わない。それから海外に行って歴史認識の話をするのもやめた方が良い。嘘はいつかばれる。中国も権力闘争が激化して政情が不安定だから韓国の言い分を聞いているだけで、安定すれば穏やかな日本とは違い、愚かな虚構に対してこっぴどく痛めつけることは間違いなく、その時に立ち直れないほど体面を失うのは韓国だということを理解しておくべきだ。
中国は史官が日々起きたことを掲示し、また記録に書きとめるが、それを正史にまとめるのは次の王朝だ。だから正史は時の権力の影響を最小限にとどめて書かれる。それほど厳格に記述されたものが受け継がれる中国にどう抗弁するのか。斉の宰相の崔杼が主君を殺した翌日、史官が崔杼弑其君(さいちょは自分の主君を殺した)と書き、崔杼に殺され、その字を消されたので、史官の弟が翌日また崔杼弑其君と書いて殺され、さらにその翌日史官の末弟が同じことを書いてはじめて、崔杼は自分が主君を殺したと認めざるを得なかった。ちなみに史官の副官が末弟が殺された時に次は自分と翌日字が消されていないか確認しに行ったという。そんな覚悟を歴史に示していない韓国が、中国に何と言い訳をするのか。
重ねて主張するが、韓国は歴史から嘘を消して、正しい歴史を教えるべきだ。