朝日新聞が倒産する条件はいくつかあるが、経営的には不動産賃貸業が収益を上げているため、おそらく破綻はしないだろう。ただし新聞発行の経費が嵩むため、発行エリアを大幅に縮小して印刷工場を廃止、海外を含めほとんどの取材拠点を統合し、記者は8割以上削減する必要があるだろう。具体的には編集部門、販売部門、広告部門、印刷部門を分社化し、給与を大幅に削減すると同時に社員の多くを契約社員と派遣社員、アルバイトに切り換え、費用の圧縮を図る。編集部門は時事ネタのほとんどを通信社のデータに切り換え、深掘りネタのほとんどを外部の識者、ライターに委託し、選別された政治部、社会部、経済部、文化部などのうちの1~2部門と論説部門、校閲部門だけを残す。販売部門は専売店の廃止に伴い、営業部門を廃止、物流部門を宅配業者に委託、管理部門だけを残して縮小するだけでなく、宅配の多くをデータ配信に切り換えて経費の削減を進める。広告部門は広告代理店に委託するか共同出資会社を設立し、広告整理、査閲部門と管理部門だけを残す。印刷部門は工場を印刷業者に売却、業務委託し、完全に外注化することで、新聞社としての存続は可能だろう。ただし新聞の個性の多くは消える。もちろんこれらを行わない場合は意識改革と体質改善ができず、倒産を免れないだろう。
新聞発行業がジャーナリズムと銘打って横柄な取材、恣意的な記事の作成を繰り返す時代は終焉を迎えつつある。多くの読者のそれぞれはある特定分野のエキスパートであり、その分野での記事の浅さ、誤りに憤りや落胆を覚えている。それでも新聞が存続できたのは、浅い、誤った記事は自分の専門分野だけに違いないと思う美しい誤解と、読者自身が正確な情報、深い洞察を発表する機会が無いという二点においてだけであった。しかしインターネットの普及は様々な方法で誤り、洞察を欠いた浮薄な記事に対する問題の指摘と訂正をある程度可能にした。このため一般の人は多くの分野である程度正確な情報とマスコミの偏りと誤り、時に誤導の意図を読み取るに至った。結果、新聞は元ネタを提示するに留まり、情報の詳細や背景、論評や洞察は多くの一般人が雑多に行い、情報の受け手が自己責任において取捨選択する時代に入りつつある。
ジャーナリズムという言葉の裏に、愚かな大衆を教え導くという思い上がったマスコミの感情が透けて見える。日本の大衆は愚かではない。震災時、電気の切れたコンビニで商品を譲りあい、辛抱強くレジを待つような国民を、学校を出てからすぐに新聞社に入り、社会経験を欠いたまま社会を表面的に傍観し、結果だけを聞きかじって未熟な予断で記事を書き散らかしただけの記者が社会を教え導くなど、思い上がりも甚だしい。会社を放り出されたマスコミの人々が実社会で実現する何かをぜひ拝見したい。朝日新聞に在籍していた時にのたまった「大所高所に立った物言い」を実社会で役立てて欲しいものである。