率直な意見。 -14ページ目

率直な意見。

個人の立場で個人の意見を。

かつて省の中の省だった大蔵省は省益を顧みなかったわけでは無いが、大蔵省が国家だと思っているところがあって、国益と省益の摺り合せにえらく頭を使っていた印象がある。大蔵省の末期と財務省はこうした気概を失って、省益を姑息に掻き集めるゴキブリのような省になってしまった。内需主体の、しかも内需における一般消費者の比率が高い国で、一般消費者の需要を減らすことばかりやっている。税率を上げること、新しい税を作ることを省内の評価指標、自らの存在価値と考えている。
彼ら財務官僚の考える増税のカンフル剤はバラマキだったり金融緩和だったりするが、バラマキは特定の業界に使われるだけな上、後続需要を喚起しない。金融緩和は一般の消費者はおろか、資金があれば大きく羽ばたける企業にも絶対に届かない。銀行は何に対して金を貸すかと言えば人でも会社でもない。担保だ。さらに日本の銀行が担保価値を認めているものは、旧態依然としたもので、値下がりしない土地だったり、国や重厚長大企業の支払だったりと何かを創造する元となる無形の価値とは何の関係もない。担保を持っている者は担保を持っているくらいだから、個人であれば何でも持っていて消費するものがない。企業であれば財務体質が盤石でビジネスモデルが確立しており、銀行からたくさん資金を調達して、冒険的な投資をする必要がない。かくして必要なところに資金は回らず、政策の意味が無い。しかし財務官僚はこうした実情に鈍感で、古いマクロ経済の教科書に書いてあった経済政策を脊髄反射のように繰り出しているだけだ。
バブル経済崩壊の直後から、財務官僚が無能で日本の国富と技術を完膚なきほど毀損させたことは、我々日本人が身にしみて知っているが、財務官僚はマクロの数字だけを見ているので、取り戻せない価値をどれだけ失ったのか全く理解していない。企業が防衛のために売却したり、維持するのをやめたり、研究開発を放棄したたくさんの価値、それを支える人材は、本来は日本の今現在の発展を支える根幹となるはずだった。燃え尽きた出し殻のような技術さえ他国の追従を許さず今日の日本の経済基盤を支えているが、本当は出し殻ではなく、豊かな想像力と旺盛な開発費をバックにしなければ絶対に発想できないような価値から生み出された華やかな製品やサービスが花開いたはずなのだ。円高でも電機業界の復権はできていないが、それも当然だ。育つべき技術とそれを担う人々は既に捨てられてしまったのだから。しかしなおも財務官僚は失われた20年を漠然と企業体質が改善し、無駄な人材が取り除かれ、無意味な投資が選別されたと思っているのだろう。全くそうではないにもかかわらず。
そして今また財務官僚は消費に水を浴びせかけている。国益ではなく省益のために。旺盛な需要は旺盛な供給を生み、旺盛な供給は差別化のために新たな技術、製品、市場を生み出す。発展の起点は需要にある。高いものが一つ売れるのと、安いものが一万個売れるのでは、マクロ的に見れば全く一緒だが、高いものが一つ売れる社会では、会社は一つしか生き残れない。逆に安いものが一万個売れる社会では一万個の市場を複数の会社が争って新たな技術、製品を生み出し、生み出した技術と製品が別の新たな市場を作る。作られた市場を見て他の企業が参入する。この繰り返しが市場の発展と創造を生み出すのだ。金のあるところに金を集めても発展は無い。経済の下層に金を回し、可処分所得を増やすことが重要なのだ。マクロ的に同じだと断じる単純な見方では、経済のダイナミズムの評価は出来ない。
財務官僚は己を恥じて自己改革するか、省の管轄と何の関係も無くても、実際の経済を作り出す根幹を見に行って知見を蓄えるべきだ。それもできないならせめて消費税を5%に戻すべき。そして自分たちと自分たちの省の先人たちがおこなった罪深い行為を恥じるべきだ。