集団的自衛権について隣国が騒いでいる | 率直な意見。

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解釈が変わっただけで憲法9条は存在している。国際紛争を解決する手段として武力を行使しないと明記してあるわけだから、自衛隊は自衛には使えても外征には使えない。当たり前のことだ。
この問題で隣国が騒いでいるのは日本をさらに侵略しようとすると、日本が刃向かう、だから許せないと言っているとしか思えない。もしも日本が外征するための第一歩と考えているとしたら全くお門違いだ。
戦前の帝国主義の時代に日本が起こした戦争は大きく分けて4つ。1つめの日清戦争はロシア南下に対して清の反応は鈍く、日本海の制海権を守るために、止む無く起こした戦争だ。日本は当時とても貧乏だったから、お金は戦時国債で集められた。賠償金も取ったが、武器や軍装品の全てを国産で賄えるはずもなく、日本全体の収支を考えれば当然儲かったわけではない。
2つめの日露戦争は日清戦争の延長線上で行われた。理由は日清戦争と同じ。海戦は圧勝だったが陸戦は補給線が伸び切って、それ以上戦争を続けるのは無理な状態。賠償金が取れるはずもなく、日本は当分の間借金に苦しむ。
3つめの第一次大戦は参戦の名分は明らかだが、結果から言えば侵略に近い。アジアのドイツ権益を奪っただけの参戦。講和後この利権の継承が公式に認められ、ここでの収支は黒字。しかしこの時以降に黄禍論がメジャーとなり、第二次大戦への緩やかなルートが引かれたと思われる。
4つめの第二次大戦は世界恐慌から日本は実質輸出が禁じられ外貨を稼ぐことができず、そのために市場としては甚だ疑問だが満州を取りに行き、それを口実にアメリカからハルノートを突き付けられ、満州を放棄しないと石油を売らない、と追い詰められて、座して死を待つなら大義に死ぬと起こした戦争。ある意味、負けることがわかっていた戦争だったから、世界中の植民地を全部潰して死のうという潔い正義を掲げ、結果的に大義は実現した。日本は元々そうしたかったのかは疑問で、行きがかり上結果的に大義を成しただけだと思うが、おかげで植民地は世界中から無くなった。
日本はみんな協力して田植えを行う農耕民族で少数で家畜を御するような産業が無く、そういう意識もない国だ。植民地にも予算持ち出しで恤民政策を行い、収奪はしていない。日本が良い人というのでなはなく、収奪するという習慣、文化がないというのが正しい。
日本はこういう過去から学んで、できないことに手を出すのはやめようと感じており、そのため海外に領土的野心を持たない。もしかしたら鎖国している方が日本として幸せではないか、とすら思っている。元々内需中心の経済だし、食料やエネルギーが自給できれば、海外からの文化的圧力も含めて関係を遮断したいと思っているはずだ。
日本が今後海外と戦争するとしたら、それは日本人の意思ではない。日本人は日本人だけでなんとかしようとする国民性。金がないと言って外国から奪うなど出来もしないし考えもしない。困ったら譲り合い、とことん我慢する姿を震災の時に世界中が見て、何て変わった国だと思ったくらい、日本は外に求めない。
だから集団的自衛権が外征の第一歩などあり得ない。繰り返すが、日本人がいい人だからではない。それができないだけ、我慢した方がマシと思うような国民性なだけだからだ。