韓国はプロパガンダを歴史として教えている | 率直な意見。

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歴史は過去の記録や史跡などから妥当性の高い理屈を組み合わせて紐解いていくものだ。そのためには自国だけでなく周辺国の記録や史跡を調べ、論理的に推定を行わなければならない。
日本にとっては幸いにも、中国には史書と史跡が残っている。しかも中国の史官はその職務に忠実だった上、史書を記述するのは次の王朝であり、史書の元となる記録は前王朝の史官が記したものだった。政治的な干渉を受けにくい環境で史書は作られているため、中国の史書は政権末期のバイアスを除けば信頼性が高い。
日本にも史書があるが、日本には中国のような職務に忠実な史官がいない上、明確な王朝の交代もないため、史実も政治の干渉を考慮しなければならない。
こうした配慮に基づいて日本は歴史を紐解いてきた。清朝までの中国もそうだったように思う。
一方韓国は、その国家の成立の初期から、日本と敵対する必要があった。ひとつには政権の正統性を証するため、前政権を否定したこと、またひとつには失政から国民の目を逸らすため、明確な外敵を持って政権批判をかわそうとしたことである。韓国が言う歴史もこの影響を色濃く受けたものであり、歴史的な記録や史跡、それに基づく論理性を欠く上、露骨な政治的意図が含まれている。そのため韓国は自国で歴史と証するものに日本は従え、とは言っても日本と自国の認識の違いを付き合わせ、史実の突き合わせすら拒否する。理由は簡単で、韓国の言う歴史には論拠が薄いため、それが歴史と言うよりもむしろ政治のプロパガンダだということがバレてしまうからである。
さらには韓国が彼らの歴史を史実を無視して栄光あるものにしてしまったがために、韓国人のプライドの拠り所になってしまったことも、韓国の言う歴史が修正できない理由のひとつとなっている。つまり韓国は歴史を新しい史跡が発掘されれば簡単に覆る可能性のあるものではなく、バイブルとして信仰の対象にしてしてしまったのだ。
宗教論争と歴史検証が同義となった韓国とは歴史の擦り合わせなどできるはずがない。韓国が歴史と言い始めたら、日本はそれを歴史の話と受け止めるのはやめて、韓国の宗教に従え、という話として受け止めなくてはならない。