9月30日水曜日㊌、滋賀県は彦根市にいます
彦根城に来まして、まずは夢京橋のキャッスルロードをぶらぶらと
歩いて、へ行き、再び彦根城のほうに戻って来ました
彦根城に登城する前に『滋賀県護国神社』に参拝
【平和を願う像】
【昭和の母】
ちょうど僕のおばあさん👵が若い頃がこんな感じだったと思います
。
僕が小さい頃までは赤ちゃんを背中におんぶして歩く女性をよく見ましたが、
最近、そういう姿はほとんど見かけなくなりましたね
【拝殿】
明治維新以降の国事、国難に殉じた滋賀県出身の英霊が祀られております
【狛犬さん】
【井伊大老歌碑】がありました
ふむふむ、なるほど
【御朱印】
滋賀県護国神社から彦根城を横目に少し歩きまして・・・
『理木舎(うもれぎのや)』に行きました。滋賀県護国神社
の北側になるのかなぁ~隣接してると言うか、すぐ近くにあります。
「井伊直弼の学問所」と書かれてます。
建物の中には入れなくてお庭から室内を拝観という形式でした
《いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が
立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした
井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか
300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練に努め、
禅の精神を茶の世界に学んだといわれます。「世の中をよそに見つつも、うもれ木の埋も
れておらむ、心なき身は」と自身を埋木にたとえて詠んだ句にちなんで屋号がつけられた
といわれます。邸内には茶室〓露軒(じゅろけん)が残っています。》
※滋賀県公式観光サイトより
部屋住み時代の直弼は、のちに腹心となる長野主膳に国学を、さらに曹洞禅、
儒学、洋学を学んだ。禅では「有髪の名僧」と呼ばれるほどであったという。
書、絵、和歌のほか、剣術・居合・槍術・弓術・ 砲術・柔術などの武術、乗馬、茶の湯
など多数の趣味に没頭し、特に居合では新心流から新心新流を開いた。茶の湯では
「宗観」の名を持ち、石州流を経て一派を確立した。
著書『茶湯一會集』巻頭には有名な「一期一会」がある(この言葉は
利休七哲の山上宗二が著した「山上宗二記」が初出だとも言われる)。
他にも能面作りに没頭し、能面作りに必要な道具を一式揃えていた。また、湖東焼、
楽焼にも造詣が深かったという。半面では世捨て人のような諦念を抱きつつも、半面
では「余は一日4時間眠れば足りる」として文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託
の多い青春であったことがうかがい知れる。直弼の日記として『埋木舎の記』がある。
理木舎の門前より望む彦根城
【御朱印】
「うもれぎのや」だったんですね!
「りきしゃ」かと思ってました
滋賀県護国神社はここ
理木舎は地図を拡大すれば出てきます・・・多分
今回はこんなところです
ではまた次回に