3月9日、長谷寺
から移動してこの日最後
に
「法起院」へ行きました
。
【西国三十三所番外 法起院】
徳道上人により天平7年(735)創建。
元禄8年(1695)長谷寺化主英岳僧正により再建。
総本山長谷寺塔頭開山堂として現在に至る。
山門前に立てられている【御由緒】
【 本堂(開山堂) 】
徳道上人本人自作の「徳道上人像」
が安置される
。
徳道上人は斉明天皇の御宇二年(西暦六五六年)、播麿の国矢田部の里で誕生なさい
ました。その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛
は 梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さ
に里人達は目を見張ったそうです。成長されるにしたがって読書を好み、手に筆を持つことを
無上の楽しみとし、神童との噂の中で 連日精進をお重ねになりました。しかし、突然起こった
不幸は上人の父を奪い、そして数年の後には母も 不帰の客となったのです。仏の道を極める
ことこそ人間に生まれた最高の道であり、 亡き父母の菩提を弔うことが今の自分にとっては、
真実の報恩であろうと大悟徹底された上人は、当時我が国随一の大名僧であった大和長谷寺
の道明大徳との間に師弟の契りをお結びになりました。約十年間の修行の後、智道兼備の
名僧となられた上人は、大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院
を建立されました。その中でも大和の長谷寺では本尊大観音を御造立されました
。
【上人御廟十三重石塔 】
徳道上人御霊廟
周囲に西国霊場各寺院の御砂が納められている
。
養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王
にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように
委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。
上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、
やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。二百七十年後
の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の
三十三ヶ所を復興なさいました
。
【多羅葉樹】
モチノキ科の常緑高木。葉の裏に尖ったもので書くと文字が浮かび上がる。
「はがき」の由来となった言われる木。当院の葉書きの木に願い事
を
書くと叶うと言われている。
なるほど~。葉
に書くから「ハガキ」
か~
。
「ハグキ」は、歯の茎(くき)なのでハグキ
。関係ない
。
この木、ほんまに「葉」
に願い事
書いていいんですね



【庚申堂】
青面金剛像を祀る御堂 青面金剛とは中国の道教思想に由来し、日本
の民間信仰のなかで独自に発展した尊像である。病魔を退け、健康長寿の
ご利益があると信仰されている。
松の木ではなく、松の木の前にある「石」
が・・・。
いや、松の木も重要だった
!
この石が徳道上人の【沓脱ぎ石】
ふれると願い事
がかなうと言われる。
「触れました」。
なるほどな~。
【仏足石】。
お釈迦様の足
なのか~
。
お稲荷さんかな~
?
お大師様と馬頭観音
が祀られる【お堂】
【弁財天堂】
弁天は金運、福知、延寿のご利益があると信仰されている。
こちらの観音様には御光
が射して見えない
。
【御朱印】
木版画の御朱印頂きました
。
【西国番外の御朱印】
閻魔大王のお告げで西国三十三所巡礼で作られたんですね
。
《御詠歌》
「極楽は よそにあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)のへだてやはある」
(極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。この世に
咲く蓮の花と、あの世に咲く蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うもので
はありません。)
そしてこの日はこれで帰路に着きました


