観音正寺の次に安土城跡か桑実寺かどちらかに行こうと
したんですが、観音正寺から五箇荘側へ戻ると、安土城跡
の方が近かったので「安土城跡」へ先に行きました。
カーナビの言う通りに走って『安土城跡』に到着!ついに来た~。
信長の「夢のあと」へ。平日でもあったので、人もあまりなく
寂しい感じですが駐車場は広い。
ここは、城跡に登るのは有料でしたね~!
受付へはここを行くのかな~。
あの小屋で受付のおばちゃんにお金を
払って入山しました。
天守跡までは、かなりの石段を登らなあかんとは聞いてましたが、
きつそうやったけど、せっかく来たしな~行くか~。
日頃の運動不足もあり・・・この角度の坂はしんどい。
石段は続く~果てしなく!・・・ではないですが。
二の丸には【織田信長公本廟】がありました!
羽柴秀吉が建立。信長の遺体は結局、見つからず。でも
各地に信長の墓所とか霊廟があります。本能寺の変の時、
何か「爆発した」と書かれたものがあるらしいですが、もしや彼
は遺体が残らんように爆死したのかもしれません。
そして【安土城天守台跡】に到着!
ここでしばらく佇む。
天守跡から下って来て、城内にある『総見寺』へ。
【総見寺本堂跡】
信長自身の菩提寺として建立。城の中にお寺があるのは安土城
だけかと思うのですが、珍しいですよね!石を自分の分身として祀っていた
ともいいますが・・・彼は最後に何を目指してたのか聞いてみたいです。
本堂跡から見える「琵琶湖」・・・ですよね!
と言うよりかは琵琶湖の一部?
【総見寺仁王門】
【御朱印】
「手形」を買ったら「交通安全ステッカー」おまけにくれました。
観音正寺のほうへ戻る方向にはなるんですが、次に『桑実寺』へ
行きました。この看板の辺りで地元のおじさんに行き方を聞きました。
「あの~桑実寺へ行きたいんですが?」
「あ~、近くに広場があるんで、そこに車を置いて前の道を
上がって行って、それから石段をひたすら歩いて下さい」
「あ、ありがとうございます」
そして、この日最も苦しんだ石段が待ち受けていたのでした。
【桑実寺山門】
だいたい、ここまで来るだけでもしんどい。
安土城の疲れもありましたし・・・そして、齢やし。
この山門を通ると「ピンポン~」と音がなります・・・という事は
本堂は近いな~と思いきや、ここからが長かった~。
あのお堂が見えた頃に「おばちゃん」が下ってきました。
「本堂へはまだ、だいぶ距離ありますか?」
「ここまで来れば、もうすぐですよ」
「そ、そうですか」
「もうすぐ」がもうすぐではなかった。
山門に「杖」がたくさん置いてあったが「使え」ということでしたか。
2月だというのに汗びっしょり。
【桑実寺本堂】
やっとのことで「本堂」へ到着。足ガクガク。
寺名は677年に藤原鎌足の長男「定恵」が唐から「桑の実」を持ち
帰り、この地で日本で最初に「養蚕」を始めた事に由来する。
【本堂】
1582年に、安土城の女中達が禁を破って、信長の留守中に
「桑実寺」へ参拝。それが信長にバレて、怒った信長は女中達
とそれを擁護した桑実寺の高僧を自ら殺害する事件が起こります。
織田信長の気性の激しさをあらわした事件でした。
【大師堂・経堂】
定恵和尚像、釈迦如来像、聖徳太子像、経典などが安置される。
【御朱印】
あ~、しんどかった~。
『寶池山 西願寺(ほうちざん さいがんじ)』
そして次に、西国31番「長命寺」へと向かう前に近江八幡市船木町
にある「寶池山 西願寺」へ寄らしてもらいました。こちらの住職さん
が和歌山のとあるお寺に来られて「琵琶」を弾かれたことが地元の
新聞に載ってたのを見て、興味が湧いて今回訪れました。
【本堂】
豊臣秀次が開基のお寺です。
【御朱印】
「蛙の朱印」が押されてます。「天正12年(1584)年、小牧・長久手の戦
で秀次は徳川家康に敗れた時に毘沙門天像をつくり信仰。その功徳
で後の戦は連勝し、やがて関白になる。その念事仏が西願寺の毘沙門天
であったという。その毘沙門天は「蛙模様」の靴を履かれているとか・・・。
その秀次公の出世と「カエル」と掛けて、拝むと「倍の功徳」があるとして
信仰され「蛙毘沙門天」と呼ばれる。緑色の「倍かえりお守り」を手に
挟んで願い事をお祈りをするそうです。
そして、このあと長命寺へとむかいました。
ではまた次回に