ああ~懐かしの世田谷梅丘「私、招き猫豪徳寺がやっていた幼稚園の卒園児です」 | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

思い出は重いで😵


私は戦後の昭和32年、招き猫で有名な東京世田谷区の豪徳寺が運営していた幼稚園(その名も豪徳寺幼稚園)の卒園児です。


卒園して67年経って懐かしく、豪徳寺のホームページをのぞいてみたら、あれ?幼稚園のことが一行も書いてありません。

卒園児としてはとても寂しい気持ちです。2つ上の兄も通っていましたから…それに担任の先生がごくごく近所に住んでいて、毎朝迎えに寄ってくれて、先生と友達たちとお手手つないでランラン、懐かしい情景が想い浮かびます。

(お寺の幼稚園だけあって舞台の上には仏像が安置され、園児たちの演奏を見守っています)

それにしても豪徳寺はなぜ歴史から幼稚園の運営を消してしまったのでしょう?今でもお寺が幼稚園を経営するのは珍しくないと思いますが…

朝礼(朝の講話?説法?)サボってドングリ拾いに行って園長先生に叱られたり、隣の2年保育の星組(私は1年保育月組)の先輩面が気に食わず喧嘩に行ったり(笑)…楽しい思い出😅が詰まっている豪徳寺幼稚園。なのに歴史から消されてしまいました!😤😭

豪徳寺
彦根藩の吉良家が開き、後に井伊家の菩提寺になったとか…とはいえ豪徳寺と言えば招き猫が有名です。

私の子供の頃は、近くに吉良家の城跡があって、城跡と豪徳寺の真ん中辺りに池があって、兄や従兄、友達と蛙やオタマジャクシ取りに行ったものですが、この池もGoogle Mapで見ると跡形もなく埋め立てられたようです。

私は当時、小田急線の梅ヶ丘駅辺りに住んでいて、ありふれた住宅地でしたが、遊ぶ処はねず山(羽根木公園)、松陰神社、烏山川のほとり、そして城跡(吉良家)とけっこう楽しめました。

ねず山では遊星王子、ナショナルキッド等々子供向けのヒーローTV番組の撮影があったり、母が行きつけの魚屋では宇津井健主演の「ザ・ガードマン」の撮影もあって、店のおじさんが映っていました。ああ~懐かしの梅丘。

一方で当時の東京世田谷梅丘周辺は怖かったです😨私の場合はですが…

ねず山や烏山川(今は暗渠です)の土手には当時まだ防空壕が残っていたので、友達と連れ立ってロウソクの灯りで中を探検しました。昼間はガキ大将の私が探検隊の先頭です😁

夜は一転、母が添い寝してくれないと怖くて一人で寝られない弱虫でもありました😵

毎夜、国士舘大学の門番が叩く太鼓の音がド~ンド~ン不気味でした。薄明かりの部屋で天井の節穴、節目の模様がお化けの顔に見えたり震えるものがいくらでもありました😨

やっと寝付いた頃、小田急線の終電で呑兵衛の♫チョイと一杯のつもりで飲んでいつの間にやらハシゴ酒(1961年/スーダラ節/ハナ肇とクレイジーキャッツ&植木等)になって帰って来る父親がドアをドンドン叩く音で目がさめ、まるで母子家庭のようなか弱き母と兄と私3人が抱き合って震えているのです😨

その烏山川の土手の上の方に国士舘大学のグラウンドがあって、ある日ある時怖いものを見てしまいました。陸上部のお兄さんが投げた槍が私のすぐ目の前で他の部員の足元に落ちて刺さったのです😨

私の恐怖の原点は豪徳寺の墓地にまつわる怪談と「赤マントの男」の話です。
(「赤マントの男」の話は次回乞うご期待!誰も待っていないか?お呼びでない?こりゃまた失礼しました/植木等)

怪談「豪徳寺の墓地見たなァ〜!」
当時住んでいた梅丘の家の隣家に近くにあった都立明正高校(この学校も消えた!)に通っていたお兄さんがいて、大学受験の勉強に疲れると私を呼んで(きっとそう)怖い話をしてくれました。

「○○ちゃん、よく来たな~今日はどの話がいいかな?やっぱり豪徳寺の墓地の話がいいね~」

はじまりはじまり。
声色入れたお兄さんの怪談噺。お兄さんは二段べットの階段に寄りかかっています😓

「ある時、夕方薄暗くなった豪徳寺の墓地をお寺の小僧さんが歩いていると、何やら音が、不審に思って音の方へ行って見ると、ままま真っ黒なカラスが墓の供え物を突っついて食べていました。真新しい墓石で、花もいっぱいで、ああ~亡くなって埋められたばかりのようでした」

「○○ちゃん、いいかい、その頃はまだ人が死ぬとね~焼かないでそのまま埋めるんだよ~だからね、時々、墓の下から迷い出て来るんだ!うらめしや〜ってね、いいかい、こうやってうらめしや〜」と、お兄さんは必ず用意していたハンカチを頭に載せて両手のひらをお腹の前に垂らします。

「○○ちゃん、いいかい。今度は、やっぱりまだ薄暗い朝、その小僧さんがその新しい墓の前を通ると地面に穴が開いていて、おかしいなと思っていると、近くのやっぱり埋められたばかりの墓の前にしゃがんでいる、男がいました」

「小僧さんが逃げ出したい気持ちを抑えて、勇気をふりしぼり、恐る恐る震える声でもしもしと声を掛けると、男が振り向き…」

「見たなァ~よくも見たなァ~と小僧さんを睨み付ける男の口には(ここでお兄さんはやっぱり用意していたシャモジを口にくわえ)肉のついた骨がくわえてあり、ヨダレが垂れていました。○○ちゃん、今夜オネショするぞ~うらめしや〜豪徳寺墓地見たなァ~の一節、ここでお終い」

ざっとこんな噺でした。何度聞いても怖くて、家に飛んで帰り、母にお菓子をねだり、「見たなァ~怖かったけど逃げないでボク最後まで聞いたよ!」と母に報告する昼間はガキ大将の○○ちゃんでした。

見たなァ~~~
なんか、国民に内緒で悪い事やっているキシダ草履の末路のような男ですね。

私たち国民は、キシダ草履に骨までしゃぶられないよう国政に睨みをきかせたい今日このごろです。

♫〜骨まで骨まで骨まで愛してほしいのよ(1966年/城卓矢のミリオンヒット曲「骨まで愛して」)
♫〜君こそ命君こそ命わが命(1967年/水原弘のカンバック・ミリオンヒット曲「君こそわが命」)

怪談より怖い歌もありました😨

でも、日本を骨まで愛してわが命と言える時代は、もうそこまでで終わりでしょうか?

えっ…そこまで?どこまで?

日本壊し屋キシダ草履うらめしや〜
コウノ再生電気利権お前もうらめしや〜