6世紀頃に神代文字↔漢字の通訳翻訳者がいたのでしょうか… | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

大きな集団で外来語を日常会話として使えるようになるにはどのくらいの歳月がかかるのでしょう…それも芸術等創作に使うとしたら?


日本は、明治開国以来オランダ語?ドイツ語?イギリス語?アメリカ語?が日本に入ってきておおよそ150有余年、中学での英語教育は明治14年から始まり、昭和の敗戦(1945年)でさらに英語が中学で義務教育になっておおよそ77年経ちますが、英語を日常会話に使える人は多いとは思えません。まして創作言論に使える人は推して知るべし…です。


時代はぐ〜んとさかのぼって漢字伝来はおおよそ5世紀。


当時この国ではどういう話し言葉、書き言葉があったのか、一種類か数種類か知る由もありませんが…称して神代文字と言われています…


漢字伝来後、突如7〜8世紀頃に和歌が詠まれるようになり、万葉集なるものが平仮名?漢字?で編まれました。


不思議なことにその歌は今の私たちにも読むことができる文字で書かれていて、しかも想いの機微情緒も読み取ることができます。


漢字伝来5世紀頃

律令国家701年〜10世紀後半頃、時代区分は飛鳥奈良平安時代

仏教伝来538年〜552頃、古墳時代後期

万葉集編纂7〜8世紀頃、飛鳥時代

(年代はWikipediaを参照しました)


万葉集には天上人朝廷人だけでなく、ふつうの人と思われる防人の詠んだ歌も載っています。


当時、日本全土で大掛かりな漢字平仮名教育が行われていたのでしょうか?それとも漢字以前の日本列島で使われていた話し言葉書き言葉を漢字に置き換える日本人通訳翻訳者?あるいは漢字を神代文字に置き換えるチャイナ(隋〜唐時代人)通訳翻訳者?がいたのでしょうか?

それも神代文字は一つでなく、当時この島では複数の言葉があったと思われるのに…


防人も漢字平仮名使えたようですが、どうやったら新しい文字言葉が普及するのでしょうか?英語だって戦後77年義務教育やったってろくに書けない読めない人が多いのに、まして和歌で心を詠むなんってことを…


仏教伝来は当初、漢字普及の手段で、仏教の経典は漢字習得のためのお手本だったのではないでしょうか…


日本に産まれ棲む人々は土着の言葉でも渡来の言葉でも自分たち流に創り直して共通語してしまう天才なのでしょうか?笑。そう言えば宗教も日本教(森羅万象に宿るカミホトケ)に創り直してありがたがっています。


漢字以前、とりあえず神代文字と呼ばれている言葉が複数あったようですが、確証はありません。


言葉と宗教を持ち込んで日本を支配した勢力は、決して出たがり屋、目立ちがり屋ではないようです。ピノキオの使い手です。時に黒子に徹しています。


今も、です…?


律令漢字仏教伝来からおおよそ1500年、日本がアメリカに降伏したとき、アメリカは言葉と宗教を取り上げなかったのはなぜでしょうか?


その秘密が仁徳陵にあったのでしょうか?


同化させるより、優秀で勤勉実直な日本人をATM(打ち出の小槌)にしたほうが得策だったのでしょうね?新しい占領統治の実験にされたのです。まあ、日本人だから成功してるように見えているのでしょうけど?


この国に産まれた者を日本人たらしめる心の通訳翻訳者は、今もきっと黒子のままでしょうね。


ついでに、

神話以前以後、神(命)につけられた名前は長〜いものが多いですが、呼び名に漢字を当てたのか、適当に漢字を並べたのか、最後に神と命で天津神と国津神とを区別しています。

今で言うネーミングライター、コピーライターがいたのでしょうか?まさか当時から漢字による姓名判断が流行りだったりして…


古事記、日本書紀、風土記等に登場する神々命々の名前は、読む人が読むと当時起きた出来事が神々の名前に写され刻まれているようです。