ただ風知承魂師・風束という名前で4年半やってきたので、ブログの名前を変えると興味のある方が(大切な読者さんですから)ネット検索するとき風知風束では検索できないと申し訳ないのでブログ名はそのままにしておきます。
これからは風知風束(ふうちふうつか)とメインの対話相手は筑波嶺雲(つくばねくも)になります。自動書記という書き方は変わりません。
小中高時代、バトンリレーやったことありますか?私は勉強はやらないのでできない、授業嫌いの子供でしたが唯一運動会は好きでした。足が早いのでリレー選手の常連でしたから、得意顔でいられる1日でした(笑)
でも勉強ができてスポーツも万能という子が一番カッコいいですよね。
令和のバトンリレーは競技場を周回するのではなく、一直線のバトンリレーです。振り向くのはバトンもらうまで、走者はみなバトン渡せばその場に一人残り、たまたま居合わせた観客と人生を終えます。走者と観客の因縁は未知です。ゴールは最終走者だけが知ることになります。
なぜ令和のバトンリレーはトラックから一直線になったのでしょう?それは日本が1つの区切りの時代を迎えたからです。
何度か書いていますが、令和という凍てつく名前を元号につけたからです。 今回は日本に限っての区切りです。
まあ、日本にいる外国人、観光客、帰化した外国人は祖国に帰ったほうがよろしいかと思います。
なぜなら、少なくともやまと朝廷以前から先祖が日本列島に住み続けた体と心の継続性がないと、凍てつく変化に対応できないからです。
輪廻転生は同じ民族に生まれ変わるので、例えどこかで血が混じっても、日本人の血が薄くても流れている、その一点だけがこの変容に耐えられる条件です。
純粋な外国人はお帰りになったほうが得策ですが、それでも日本が好きなら覚悟し滞在してください。まあ、命までもはとられないですが、自分が属する民族の血統とはどういうものかを身をもって体験する歴史的瞬間ですから、傍観者、観客、観光客として深入りせずご覧になるのでしたらご自由に。
日本人のための変容の時です。
一直線のバトンリレーです。変容を身を持って受け止められるのは各チームの最終走者だけです。いくつかのチームに分けられますが、例外は許されず日本人なら全員参加が条件です。
とはいっても各チームの走る順番によって現れる変容を様々ですが、それぞれが受け入れて次の走者にバトンを渡してくださいね。決して落としてはいけません。
走る順番はすでに決まっています。あなたの先祖の歩みによって決められたようです。みなさんは最終走者のためにバトンを落とさず、渡す相手を間違えず、観衆の歓声罵声に気をとられることなく自分の走るパートを駆け抜けてください。そこがあなたの先祖が選んだ体と心をおいて生きる場所です。
ざーっと数えて1万チームに分かれて競争い合うことになります。競争というよりは分かれて走るということになります。
各チームの最終走者の目的地は同じ地点です。無事に走り通せば1万人がその地点に体と心を置くことになります。
選ばれたということでなく、全走者の力一杯の走りがあって辿りついた地点、境地です。最終走者は全走者のために生きることが役割です。
各チームおおよそ9999人が前走者ということになります。各チームのたった1人の最終走者がゴールイン後、9999人のメンバーを、今度は身を持って言葉を尽くして、最終地点まで導く役割を担うことになります。
日本人が変容することになります。新しい日本人の誕生です。リレーの形は違えど卑弥呼以前の時代より日本人は、こうした変容の季節を迎えて乗り越えて来ています。
元日本、源日本人から現代の私たちに体、心、暮らし、食料、道具、素朴な感謝の信仰、知恵、いたわりあい、絆等々といったものが、文化文明を超えて凌駕して受け継がれて来たわけです。
なので日本人の先祖を持たない外国人は蚊帳の外におかれているお客なのです。
このバトンリレーはひたすら一直線に走り続けます。バトンを落とすとゴールを見失います。歴史的に見ても、そうした者たちが日本のためにならない言動を繰り返しています。
そのものたちにも等しくこの一直線のバトンリレーに参加するチャンスがありますが、今度も落とすと地獄へ堕ちますよ(笑)
ここでいう地獄とは、先祖の恩恵が受けられないというよりは、時空を超えた繋がりが切られることです。日本人であって日本人でなくなるだけでなく、マスメディア等々伝達手段のなかった時代の生活の知恵、学習方法、家族・仲間との絆、もちろん豊かな日本人の栄養、免疫、寛大、分け合う、共にある意識、共に喜ぶ、共に泣く、さらには生死痛みの共有等々の「血」が甦り身体を巡り、現代の個人主義の汚れた血が洗い流される時空のゴールに辿り着くことができません。
日本人に限ったことでなく、世界中の民族が民族単位で時空を超えて数千年に一度やりとげる儀式、試練、祝事です。
ですから多様性などという文化、習慣、儀式、遺伝子レベルを超えた混血は戒めないといけません。民族の中での混血で十分に遺伝子は豊かに変容するのですから…人間に魚の血が、遺伝子が混ざるような行為を礼賛奨励する今日の風潮は愚の骨頂です。現代知識は、永々と積み重ねてきた先祖の歩み、叡知に対する挑戦であり冒涜です。
さあ、数千年に1度の日本人のイベントが始まります。みなさんハチマキをしめてふんどしをしめて雑念を払い、バトンを磨いて、バトンを落とさないよう練習に励みましょう。
こうしたイベントを繰り返し経て民族性は受け継がれて来たわけです。誰の血が混じったかわからない子孫を残すことは厳に慎んでください。
どこの馬の骨だかわからない…これは決して差別でも区別でもヘイトでもありません。それぞれの民族の誇りであり、継続して子孫を残して生き続けるヒントです。
とりわけ日本列島は周囲を海に囲まれているので、イベントが行われやすい環境にあります。
イベントが始まると飛行機は飛ばなくなり、船は港に横付けされたままとなります。しばし異民族は生まれたお国に帰っていただきます。
異民族が、他民族のこうしたイベントを見ると、己の中に脈々と息づいている民族の「血」が前触れもなく沸騰して一時我を失うことになります。
この世は元からある大は種~小は共同体ごとの「まとまり」の単位をもとに継続しているので、どのような新しい文明文化、生活様式、技術が生まれ、それを使い飼い慣らされても元から逸脱することはできません。頃合いを見計らって数千年に一度の一直線のバトンリレーが行われます。
それに比べたらオリンピックは屁みたいなものです(笑)何が民族の祭典なんだか意味不明。
一直線のバトンリレーは、ある日ある時、私たちの感覚、意識、理解を超えて知らぬまに参加して始まります。
位置について、ヨーイ、ドン❗️
転んでもバトンだけは手から放さないでくださいね。
ところで約1万人の最終走者が駆け抜けるゴールのテープの先には何があるのでしょう?ヒントはやまと朝廷以前の日本人の想いが籠った風です。その風をまず浴びましょう…。