みかんと人間 | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

果物は、見た目1つの実でも、皮をむいてみるとブドウのように中の実がいくつもの房・袋状に分かれているものがあります。

例えばみかん。子供の頃、選ぶとき、甘いか酸っぱいか、蘊蓄(うんちく)を傾ける大人が結構いました。みかんの色形はゆうにおよばず、押してみて柔らかいとか固いとか、お尻のへこみ、枝についていたへたがどうのこうと、うるさかったです。

皮をむいてみると予想は外れることのほうが多かったように記憶していますが、当たることもあって、そのときの大人は、どんなもんだいとばかりにからだがそっくり反ってしまいそうでした(大笑い)

同じような果物鑑定は、果物全般についておこなわれてバナナ、りんご、柿、イチゴ、メロン、スイカ等々大人の自慢の種は果物だけに種はつきなかったです(笑)

今となれば、それはそれで季節の風物詩のようでもあって楽しく懐かしいいです。

1個の実、むいてみるといくつもにわかれている実。

食べ方にもいろいろあるようで、育ち、好みが表れます。みかんも、絶対に中身(房、袋状)の皮は食べない人もいれば、やめればいいのに意地でも外の皮ごと1個食べる人もいます(笑)種までかじる人もいました!

皮をむいてみると食べるとき束になっている房から1つずつとって食べる人と2つ3つまとめて食べる人と様々です。

突然ですが、人間はミカン(蜜柑)です。

皮をむくと同じような色、形の実が房状に詰まって1個の果物の実を形成しています。

ただ人間とミカンとでは、実の素性、成り立ちが違います。みかんは1個の種が発芽して成長し、1本の樹から同質の実になります。日向日影の違いがあって味は違い、虫食いなどの違いはありますが、仮に接ぎ木した幹でも、異質なものの集合体ではありません。

一方の人間はどうでしょうか?さすがに接ぎ木はしませんが、確実に男女の遺伝子情報が混ざりあうので、双方の先祖の系統遺伝子情報は子供に受け継がれます。

生まれてくる子の親となる男女にもそれぞれ親がいて(当たり前ですが)、その親にもそれぞれ親がいて、遺伝子情報は幾重にも交ざり合っています。

勉強不足ですが、生命情報という意味ではみかん(植物)より人間のほうが細胞が多いいということで言えば、より複雑に交ざりあっているのでは?と思います。

しかし生命の特長?特徴?という意味においては、みかんと人間とでは見た目も大きく違います。

みかんは樹になっているときはなっている他の果実と合わせて1個の個体です。ただ収穫して枝から離れると、その実が1個の個体として見られます。

人間(動物)は群れで暮らしても、樹という単位で生きているわけではないので、個体として生まれ個体として育って存在しています。

同じ生命でもこの世に表れ存在する形が違います。


でも、ほんとうにそうでしょうか?個体としては1個と認識区別できても、1個の存在は純粋に1個として存在することはありません。できません。個が複数集まったものが1個の個体であり、生命体の本質正体です。

みかんしかり、人間しかりです。

人間も皮をむくと複数の房、袋状になっています。


美味しい実、不味い実の9割りは自分ではなく他者の想いなのです。

あなたの思う「自分」って誰でしょう?何でしょう?

実を食べ終わったら皮だけだったりして…皮も食べますか?もしかして皮と種だけが自分かもしれません。

だから栄養はあるかもしれませんが、不味いのもあるのかな(笑)

「みかん人間」の袋状の実は他者からもらった、憑依した想いです。

家族、友人、知人、学校、職場、電車の中、挨拶を交わしただけの人、通りすがりの人等々からもらった想いです。

あなたに原因があるなしに関わらず、人の想いとは他者に憑依するものです。風に乗って、この世の隅々まで運ばれて憑依します。

テレビ、ラジオ、ネット、映画、舞台、講演会音楽等々から流れてくる音声、画像からも憑依します。

あなたが読む新聞、雑誌、本等から思想として憑依します。

あなたの想いだってあなたを離れて他者にとり憑いているのです。

憑依されたものが離れていくのは自分がこの世を離れるとときです。だだし、自分の想いは死んでも風の中に、憑依した人の中に残っています。

世界にはたった今現在だけで50億の人々が生きています。死んだ人の想いも残って憑依します。1個の人間の想いは1個ではないので、その想いは天文学的数になります。

いや、そう考えると、自分っていったい何でしょう?ほんとうの1個の人間の想いって、いったいどういうものでしょう?

みかんの実どころではないのです!

ほんとうの自分、憑依されていない自分、自分から離れて風の中に散らばってしまった自分と出会ってみたいと思いませんか?

混じりあっていない純粋な1個の自分を知っているのは、あなたに寄り添っている魂です。純粋なあなたというりんごを丸かじりして味わっています。

美味しいでしょうか?不味いでしょうか?それが、あなたです。無垢のあなたというのはないんです。1回目の転生する以前のあなたはすでに純粋無垢ではありません。


魂は、数十回生まれ変わり繰り返した、あなたの味わった現実と、それによって生まれた無数の想いのすべてを保管していますが、けっして教えてくれることはないです。

さらに人間としての転生を終えた魂の想いも重なっているからです。

あなたの人生という理解ができ、魂と対話できるようになれば、輪廻転生を繰り返す、あなたの人間としての役割を終えて、次の役割…あなたが魂になって人間の人生ドラマの筋書きを書き、演出をすることになります。

あなたが転生を繰り返した記録を知るのは魂に転生するときです。

自分を知って圧倒されるでしょう。