人生ドラマの筋書きは変えることができるでしょうか | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

その前に「自由度3割」とは…

私たちの人生のおおよそ7割は魂の描く人生ドラマです。魂が脚本を書き演出をしています。因果応報、相対的関係を大道具として描いています。

自由・任意の言動(アドリブのようなもの)は3割です。3割って少ないようでけっこう多いですよ。

この因果応報、相対的関係を理解すると自由度3割のアドリブを有効活用できます。

この3割の言動も因果応報(鏡の法則)で跳ね返ってきます。すぐに直球で戻ってきます。ただドラマの中ではアドリブなので、大勢には影響しないです。迷い、後悔の堂々巡り、友人を3、4人なくすくらいで(笑)あなたの責任ではありません。安心して魂に身を任せて、アドリブを楽しんでください。

使い方は簡単です。好き嫌い、嗜好、趣味など魂にとってはどうでもいい個性の部分ですから…なのでときどき人は好みが変わります。とはいっても自分で選べるので楽しいです。でも、センスのわるい人、ハイセンスの人、一風変わった人が現れます(笑)

好き嫌い、嗜好に振り回されると肝心な人生ドラマ演じていても、今回の自分の人生の意味が見えてこないです。まあ、わからなくとも筋書きは進行していきますけどね。でも、わかる人には魂の描く筋書がおぼろげにわかります。わかる人には、思い通りになった、ならないは別として納得できる人生なのではないでしょうか…

好き嫌いで人生を狭くしてつまらなくしている人、趣味嗜好で無駄な時間を費やしている人がいますが、これはあなたのアドリブが滑ったのですから自業自得です(大笑)

人間関係のほかに金持ち、浪費癖、気前がいい、ケチ、貧乏、破綻等お金に関することは魂の描くドラマの筋書です。職業の選択、収入、稼いだお金をどう使うかは重要な小道具の1つです。さすが魂、押さえるところはきっちりと筋立てています。

さて、魂にお願いすれば筋書きは変更してもらえるでしょうか?答は否です。でも、それは自分からでも、家族からでも否です。私事でも愛する人のことでも、よい方向に変わることのお願いは通じません。私利私欲にはあっち向いてホイされます。なので神社に参拝しても、神仏にお願いしても無理です。家内安全、商売繁盛、結婚成就・子宝授かり、受験合格、無病息災、病気快癒等々はまったく成果はありません。欲がからんさものはダメダメということです。ああ、呪いもダメですよ。呪いは生き霊の専売特許です!

参拝者の善い想いが集まって存在となった、例えば私のそばにいる白狐さん(玄那)でも、私的な願い、祈りは聞いてくれません。受け取ってくれるのは自分も含めた共同体の「豊穣」を感謝する報告だけです。なので神社が売っているお札の類いに御利益はありません。

ふつう魂は一生の間に十数回役割(本人の本質)を変えます。人生の節目、例えば学業、就職、結婚、病気等を契機とするので、本人は気がつきにくいです。本人とは自分と魂の2つ以上には分けられない自分のことです。

それ以外では、どのような場合に魂は人生ドラマの筋書きを変更するでしょうか?

・魂が未熟な場合。現実が急変します。演じている私たちもビックリです。
・周囲にいる他の魂の影響を受けた場合。魂もこの世にいる限り相対的関係のなかで存在しています。

では、誰がお願いすれば魂は筋書きを変えてくれるでしょうか?まず肉体をもった私たち人間の希望は100%聞き入れてはくれません。たちはだかる壁です。

シャーマンでも、私でも(笑)ダメです。

私の知る限り唯一、白狐さん(玄那)のような存在が頼んだ場合だけのようです…

私の場合は4年ほど前、高速度道路を走っていて事故で即死して人生が終わる予定でしたが、白狐さんが私の魂に交渉して筋書きを変えてもらいました。この時点では私も白狐さんの存在を認識していないので、あとで聞いて、ああ、なので目が覚めたとき恐怖がなかったのか、と思った次第です。助かって良かったという気持ちも正直ないです。事故死は突然死ですが、死んでいても納得できます。私の父のときのように「現役」ではなかったので「早すぎる死」ではないです。私の魂はちょうどいいところで人生舞台の幕を下ろしたのですが…

緩やかな下り坂、車のスピードは100キロを超えていました。居眠りして車の右側面が中央分離帯に衝突した瞬間に白狐さんの願いが叶えられました。

白狐さんの願いは人間に生まれて結婚し子供を産んで育てたい…夫と子供を愛したいという願いです。動物ならふつうの営みです。しかし白狐さんは私には認識できる存在ですが、ふつうは理解されないです。

この白狐さんの願いは、私たち人間からの願いだったら魂は聞き入れてはくれません。結婚によって生まれる出産、子育て、家族という共演者は魂にとっては人生の節目になる小道具ですから、その筋書きに演じ手や誰かが介入することはできません。

生き霊等に渡すのは細い紐です

魂は、ピノキオの「太い」操り紐はけっして渡しません。では、なぜ私の魂は白狐さんの願いを聞き入れたのでしょうか?

ふつうに考えれば白狐さんの願いは私利私欲、自己都合です。私たち人間の願いとどこが違うのでしょうか?

白狐さんは800年ほど前に誕生しました!神社を参拝する人々の善い想いが数百年かけてかたちになりました。千数百年という時間を経た、大勢の人々の豊穣への感謝の想いです。こうした存在の「願い」には数万人、数百万人の願いが籠っています。

理屈から言うと、私たち人間の想いも十数回~数十回の転生を経てこんにちの「自分」があります。意識と記憶がないだけで数千年、数万年を経ています。数十万年はないと思います。その後は、みな魂に転生しています。

1個の膨大な魂の記憶は、魂が惑星に転生するときに、人間から生まれ変わったばかりの魂に受け継がれます。受け継いでも初心者マークをつけた魂ですから活用は未熟です。「善悪そして裁く」というテーマはとても難しいです。

川の流れが石を転がして丸くするように、風が岩を崩すように気の遠くなる歳月をかけて変化変容していきます。

生物の想いも同じです。生物誕生のきっかけは、この世の、どのような存在かはわかりませんが、その想いがかたちになったわけです。いっときの、気まぐれな願いではありません。

この地球の生き物は、地球由来の植物、昆虫、微生物を除いてすべて他の惑星のすでに終わった生物の記録が投影されています。魂が関われるのは「人間の、どのような一生か」です。動物には魂は寄り添いません。彼らは「自力」で生きています。なので人間が動物に、動物が人間に生まれ変わることはありません。

白狐さんはかたちは狐でも動物ではありません。

白狐さんの「人間になりたい」という想いは、意図して生まれたわけではなく、千数百年の想いが籠った結果です。

なので白狐さんの願いは1存在の私利私欲ではないと言えます。

なので私の魂は白狐さんの願いを聞き入れて私の人生の幕を下ろしかけてまた開けたのです。

さらにさらに私の魂は、カッパさん(徳川家の不戦の想いがかたちになった存在)、海亀さん、白熊さん(共に古の日本列島に住んでいた人々の想い)の3つの存在の願いも聞き入れて私と一緒に転生させるのです。

彼らが入る生命の鋳型はすでに用意されました。あとは本人たちの準備と寄り添う魂が見つかれば完了です。