茶壺に追われてとっぴんしゃ | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壺に追われて とっぴんしゃ
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが 米食ってちゅう ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも 行きっこなし
井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ

手遊び歌「ずいずいずっころばし」です。この年になってはじめて歌詞の意味を知りました。ちょっと長いですがWikipedia から要約抜粋します。

ある街道沿いの家で胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来るというので家の中に入り、戸をぴしゃりと閉めて(とっぴんしゃ)やり過ごす。お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切り捨て御免の時代柄、庶民は粗相のないように細心の注意を払っており、子供たちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられていました。お茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけます(抜けたらどんどこしょ)家の中で息を殺していると俵の米をかじっているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくるほどシーンとしていました…ということのようです。

そうかと思うと性的な意味合いが含まれている解釈もあります。子供たちが集まって両の指で筒の形を作り前に出して、誰かが人差し指をそのゆびの筒の中に入れたり出したり…女性器(茶壺)に追いかけられたイケメンが小屋に逃げ込み、ついてきた女が戸をぴしゃっと閉めて、入れたり出したりムニャムニャ。男も女もちゅうちゅう吸いあって、おっとさん、おっかさんの呼ぶ声も聞こえないほど無我夢中、♪恍惚のブルースよ(青江三奈)ガチャン!大きな物音で我に返りましたとさ。

なるほど、両者ともにガッテンガッテン!(笑)私としては後者のほうを支持しますが、後者の解釈では話が終わってしまうので、泣く泣く前者のお茶壺道中の解釈を採用いたします。


シーンと静まり返って息を殺した情景を思い浮かべて下さい。

自由で粋で遊び心を心得た、おつなものだった江戸時代ですらこれですから、独裁反日政党の政権になったらこの程度の「シーン」じゃあ済まないですよ。窒息しちゃうのではないですか?とても手遊び歌にはなりません。とっぴんしゃん…閉めた戸は2度戸開けられないと思います。独裁反日勢力が牛耳る国家とはそういう恐怖政治です。

反日勢力が来たらとっぴんしゃん…それでは壺は壺でも彼らの思う壺、言いたいことは堂々と言いましょう!

隣の人の心臓の音も聞こえるくらいシーンとした空気を噛みしめる。私たち日本人の現実にはないです。しかし、たった71年前の日本人は、防空壕で敵の爆撃機の音、落とされる焼夷弾のシュルシュルという音を聞いていたのです。憲法9条があってもミサイルは撃ち込まれます。もちろん相手が独裁反日国だったら、その後は米国占領時代より悲惨な現実が待っています。

シーンとした空気。人間は追い詰められれば、いざとなったら9条に関係なく戦うため防空壕を出ます。座して死すよりましです。生き物は敵に食われるとき脳内麻薬が出て恐怖心が消えるとか?しかし独裁反日国の侵略は蛇の生殺しです。ひと思いには殺ってくれません。長い苦痛が続くのです。我々と子々孫々に及びます…たった今、民族性を破壊されている国々があります。国連なんって名ばかり。独裁国の不正、横暴、人権侵害には目をつぶっています。

戦後、日本を占領していたのはアメリカ進駐軍(GHQ)ということになっていますが、アメリカは、実際には不法入国した、肌の色や顔立ちの似ている反日勢力を政府の周辺、中枢に送り込んで代替統治させて来ました。工作員もいっぱい入って来ています。そういう国から来ている観光客はいざとなれば傭兵に変身します。

そういう日本の現実に目覚めた、あるいは気がついていたけど言えなかった、という人たちが声を上げ始めています。柔和で我慢強い日本人が怒れば怖いということは、反日勢力はよくよく知っています。

日本人が目覚めた!戦うとか排除するとかでなく、まずは大きな声を上げます。マスコミ、メディアもいい加減な歪曲捏造報道を繰り返していると、日本で商売はできなくなるでしょう。大好きな故郷、あちらの国へお引き取り願うことになります。まあ、企業もお帰り下さい。

同じように反日政治家、学者、ジャーナリスト、工作員たちもそれぞれの国にお帰りになったほうがいいですよ。すでに面が氏素性が割れてしまっています。彼らが日本のメディアで好き勝手言ったり、デモなどをやれるのは泳がせて正体をあぶり出すための方法です。当局の仕掛けた罠にまんまとひっかかっています。

下にい下にい…独裁反日国の恐怖政治に比べたら江戸時代の大名行列なんってかわいいものです。地べたに座って頭を下げていればやがて、抜けたらどんどこしょですから。ついでに人が動けばお銭も落として行ってくれます。沿道沿いの商人は多少なりともご相伴に預かれます。

しかし反日勢力が観光で落としていくお金を当てにすることはやめるべきです。毅然とした態度で迎い入れましょう!

恐怖は突如シーンと静まり返ってから津波のごとくやってきます。茶壺(恐怖)にはまっている我が身と対峙することになります。誰にでも人生には程度の差、受け止め方の差はあっても忽然とやってくる恐怖の時があります。

恐怖は恐怖でも恐怖政治や災害等ではない、正体不明の恐怖があります。生き物のもって生まれた感受性の発芽、あるいは病気のサインかもしれません。いいこと、わるいこと、それは起きてみないとわかりませんが、恐怖がおとずれることは覚えていたほうがいいと思います。いいことの前触れとして恐怖がノックすることもあります。生き物である以上、この感覚を麻痺させることはできません。またしてはいけません。

人類と暗闇。生き物の中で唯一人間が暗闇を苦手としています。脳や手が発達した代わりに暗闇での対処能力を失ったのではないでしょうか。進歩進化変化は都合のいいことばかりではありません。得るものがあればなくすこともあります。

突如襲う恐怖には物理的なもの、精神活動に起因するものがあります。物理的なものとしては事故、暴力等があります。精神的なものとしては不治の病やパニック障害、赤面恐怖症、対人恐怖症等は身近な病気、症状です。

恐怖ではなく戸惑いがあります。しばし途方に暮れるのです。それは暗闇でなく太陽の下で、キラキラ輝く明かりの下で起きます。病気というより症状、状態です。突然新しい記憶が消えて状況が理解できなくなります。私の場合は、明るすぎるのが要因なのです。

私は50代で1回、4年ほど前に2回目、そして昨夜もその状態に陥りました。元妻と「森友学園」の話をしていたのですが、直前で読んだネットのニュースの8割を忘れ思い出せずに、かろうじてつじつまを合わせて逃げ切りました(笑)元妻は私の変化には気づいていないです。3時間くらいで記憶が甦り、記憶が開通しました。

この間、恐怖はないんです。参った!記憶が飛んじゃったよ!自分の3割ほどが行方不明といった感じです。せん妄の一種ですが、ラクナ脳梗塞を起こしているのです。同じ脳梗塞でも意識、言語、運動機能には障害は出ません。その代わり緊急を要しないので病院へ行っても治療法はなく、様々な検査をして「小さい梗塞が起きていますが、すぐに問題が起きることはありません」と言われて、高い検査料を払って帰って来ることになります(笑)中年になるとほとんどの人がラクナ脳梗塞を起こしていると言われています。

私の場合もそうです。ただ2回目の症状が出た時は、医師曰く「○○さんは運がいい、大きめの梗塞がありますが急所をはずしています。それに脳が自分で修復した形跡があります」それはMRI の画像で私にもわかります。原因は加齢だそうです。ほんとうに高い検査料でした。目が、飛び出ました!

と言うことで、このブログはいつまで書き続けられるかわかりません。私のブログは遺言で、金太郎飴なので、いつ終わっても大丈夫なように書いてあります(笑)

金太郎飴になりますが、独裁反日国の恐怖政治を押し付けられるのはごめんです。もし独裁反日勢力が侵略してきたら戦う心づもりは、それなりに持っています。まあ、私はジジイですから武器もありませんが、座して死ぬのはごめんです。虫けらのように瞬殺されてしまうと思いますが、キーボードを叩いて無駄な抵抗をしたいと思います。性格的にも「とっぴんしゃ」はできません。

ああ、2人のバカ息子は、後に続いてくれるかな?防空壕に入って座して死を待つのは親不孝、いいえ、日本を不幸にします。生き物は慣れた環境を好みます。柔軟性はないんですよ。戦うのは、慣れた環境を取り返し、そこにどっぷりと浸るためです。

話がそれました。

恐怖はシーンとしています。それ自体が恐怖ではないので恐怖が悪とは限りません。善もあります。魂の描く人生ドラマは一見AかBか、二者択一で単純明快に見えますが、時々足が止まります。そのとき戸惑って下さい。戸惑う、途方に暮れることは、魂が私たちにくれる任意の選択肢です。恐れず、悩まず、騒がず、ひたすら、追われてしまった茶壺が抜けるのを楽しみに待っていて下さい。抜けたらどんどこしょですから。戸惑いはわくわくする頭の静寂です。ただし「とっぴんしゃん」は、しないで下さい。1センチほど戸を開けて覗き覗きしていましょう(笑)

選択肢…Aか、Bか、Cか?脚本通りか、任意か?実は人生には選択肢はありません。あるように見えているだけです。魂の描く人生ドラマは「意識=時間(騙し絵のような記憶)」を使って実に巧妙にできています。お暇な時にでも拙稿「桃は1つだけ流れて来た」(2016.11.19)「迷わず受け取る法則」(2016.12.30)を読んで頂けたら幸いです。

なので騙され上手は生き方上手でもあります。

ただし、我が身に襲いかかる恐怖と戸惑いは中身が違います。暗闇か明るすぎるのか、恐怖の正体は隠れて近づいてきますが、すぐに露呈します。

今わが国の国会で恐怖に震えているのは野党の反日勢力です。お茶壺は共謀罪です。身に覚えがあることを晒け出しています。夜な夜な国を乗っとり、どこぞの独裁反日国に日本を献上しようという陰謀を密談しているのでしょうね。それが共謀ということです!それを取り締まる法律が今国会に上程されている「共謀罪」です。独立国として、これまでなかっことがおかしいのです。だから反日勢力が、ふつうに暮らしている私たちを脅かすのです。

反日勢力のお茶壺道中、「とっぴんしゃ」なんかしてられません。