可哀想だた惚れたって事よ | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

夏目漱石の小説「三四郎」の一節に英語教師廣田先生の友人が、ある英語を俗っぽく「可哀想だた惚れたって事よ」と訳して、先生に「下品だ!」と言われたというくだりがあります。

英語の原文が載っていないので、当時の英語にどういう言い回しがあったのかわかりませんが、日常英語に困らない人に聞いたところ、どうもそういうニュアンスの言葉はないだろうとの返事でした。

日本語でいう「情け」の部類に入ると思うのですが、情けを「かける」ほうも「かけられる」ほうも受け止め方は様々でしょう。

相手に対する想いは、「愛」「愛情」「同情」「惚れた」「好き」「惹かれる」「気になる」「親しみ」「配慮」「心配」「気が合う」「見過ごせない」「可哀想」等々いっぱいあります。

愛と情は違うんですよね?愛は普遍的で誰に対しても同じように接する犠牲心、奉仕が根底にあると思います。例えて言えばマザー・テレサのような想いと活動がそれでしょうか。膨大な援助が寄せられていたそうですが、慈善事業は誰でもお金があればできるというものではないです。

彼女の活動はボランティアというにはあまりに尊い行為で、しかも継続しています。無償の愛、慈愛、慈悲、施し…日本語で表すと、こんな感じでしょうか…でも、何気なく使っているボランティアって、そういう意味があるのでしょうか。

情は打算あるいは立場が逆転して与える側が受け取る側になることもあります。つまり「こうしてあげたんだから」「こうしてちょうだいよ」という人間臭い期待感が漂っています。双方向の情けですかね。

愛でも情でもかけてしまうと、相手から「期待感」「当てにする」という強い想いを持たれることがあります。なので中途半端な、気まぐれな、自己満足的な同情、惚れるは、「♪情けかけたが身のさだめ」(お富さん、春日八郎)になって、ものすごい重荷になってしまうことがあります。親子でも、夫婦でも、男女でも、友人、職場の人との関係でも程度の違いこそあっても同じ情況を生んでしまいます。

なので、どなたかがいっていましたが「身の程を知って情けをかけなさい」、男女の関係では「セックスをすることはお互いに相手の人生を背負うことにもなります」ということが身につまされつまされることにもなるわけですね。

国と国との関係でも情けをかけすぎると男女の関係に似た情況になってしまうこともあります。外交では援助とビジネスは分けたほうがよさそうですね。ただ安全保障というキナ臭い問題もあります。同盟国といえどもいろいろな部分でなあなあになって安心していると梯子をはずされたり、無茶な要求を突きつけられることもありますから、間合いをとり、油断は禁物ですね。味方といえども背中は向けないことです。

ああ、これって親子でも夫婦でも同じです。情けは距離を置くか、逆に継続性のない気まぐれのほうがお互いにいい場合があるということも言えるわけです。

かっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ…幕末から明治にかけて流行った江戸の俗謡、躍りだとか…「かっぽれ」は民謡などで使われる囃子言葉です。合いの手かな?

「かっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ」は諸説あります。「あなたに命がけで惚れた」という「おかぼれ」の意味で、「かっぽれ」は民謡「鳥羽節」の囃子言葉ですが、五千円札の新渡戸稲造はギリシャ語の「カルポーレ」(収穫)で収穫祭の躍りだと主張、作家の司馬遼太郎は江戸時代お堀を作る工事の際、人足たちが「かっ掘れかっ掘れ」と景気よくはやし立て、休憩に甘茶を振る舞われたからだと言っています。イタリア語の「アンマチャ・デ・カプリオーレ」(酒を飲んで踊ろう)というのもあります(笑)

私は惚れっぽいです。命まではちと考えてしまいますが、相当かっぽれします(笑)

さて愛という言葉、表現、行為は賛美され過ぎていると思いませんか?あまりに都合よく誰でも、どこでも大安売りです。

なのにヌッポン人(千昌夫さん)は肝心な男女の間ではめったに「愛してる」は言わないです。こっぱずかしいのか、言わなくてもわかっているとお互いに思っているのか、面白い人種です。

縄文人は毎日男女で親子で家族で仲間同士で「愛してる」って言い合っていたそうですよ‼(笑)ああ、当時はヌッポン人と呼ばれていたのかどうかも、そんな言葉があったのかも不明です。でも、食料を採るのも、食べるのも、出産も、子育ても、生きることはきっと今よりもずっと命がけです。愛してるっていうような掛け声で助け合い、仲間であることを確認していたのではないでしょうか…かっぽれかっぽれ、あなたとかっぽれ、みんなでかっぽれ!よそ見してのんびり鼻くそかっぽっていたら恐竜に喰われちゃうからね!

惚れるは、お互い恍惚にならないといけません!自惚れはいけません。我を忘れて惚れすぎても、惚れられ過ぎても命取りです。

でも、「惚れる」の真髄は相手を恍惚にしてあげることです。