親子の相性:意図的に紡いだ糸で編んだ織物 | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

親子の相性が一番難しい。
なんでこの子を産んだの…なんで私は生まれてきたの…ふつうに考えると、親子の関係が形成される間に意思が働いたとすれば、それは夫婦(男女)の性行為の瞬間だけである。今日やりたい!私もよ!神だって、まさか、こんなことにまで関わるとは思えない。神の手は、そんなにお節介ではない、と思う。
人間は都合がいいことに、産まれる前と死んだ後のことは覚えていない。だから人間やっていられるのかな?意識がある瞬間瞬間が繋がって今だけを覚えているだけでなのである。今しか知らないから生にこだわり、疲労困憊して、死の恐怖におののいて、人生を窮屈なものにしている。
そうした人生の始まりである誕生のちょっと前、父母が性行為しているとき、子の自分はいたのか、いなかたのか?
子が親を選んで生まれてきたという考え方と、真逆に「好き好んであんた方の子に生まれてきたわけではない」という考えがある。しかし親からも言わせてもらえば、子は授かり物というのはあまりに綺麗事すぎて、実はなんでこんな子が生まれてきたの…と言いたい思いをこらえている親がいたっていいじゃない。自己中の子供なんってもってしまったら、いっそ死んでくれたらいいのにと思っている親がいたって責めることはできない。
それほど親子の本音は複雑怪奇!もちろん夫よりも妻より子供もが可愛いという人がいっぱいいることは百も承知で、親子の関係に水をさす、いや、親子なんってどこがいいのという人もいるという両極端の立場から、親子の相性を見て見よう。
私は、「魂の役割」という見方で、人の本質(本性)を分かりやすく動物に例えて説明する。これで人ひとりの人生のすべてを解き明かそうというのだから、もうむちゃくちゃな話だ。例外的に現世の魂の役割だけで分からないときは過去世、来世の魂の役割を職業で判断することもある。
でも、案外言い当てているから、恥ずかしくもなくブログを書いている。

親子の相性は、夫婦の相性とも複雑に絡んでいるので難しい。政党や会社、野球やサッカーのチームをまとめるより数百倍も難しい。
例え一家4~5人の家族でも。夫婦それぞれ、子それぞれ魂の役割をもっており、お互いに相手の役割を知らないで家族を演じていて、必ずしも目的が一致していない。

相性のいい夫婦は共に魂の役割(本質)に、夫婦の絆が強い動物を持っている。例えば鳥。白鳥は相手が死ぬまで添い遂げるという。カラスも嫌われ者だが、夫婦仲がいい。一部の犬科もそうで、イエロージャッカルなど。タヌキはひょうきんものに伝わっているが、ペアのどちらかが死ぬまで夫婦を解消しない。
夫婦の絆が弱いか、交尾するだけの動物が圧倒的に多いい。群れで暮らす動物のほとんどがそう。その他は一匹でさ迷っている。人間夫婦の離婚が多いのがうなずける。

そういう生き物が大多数だというのに、親子(母と子供)の絆が強い動物は多い。人間もそう。だからといって親子の相性がいいわけではない。
これが家庭となると夫婦の相性に加えて、父と子の相性、母と子の相性が意図的に複雑に絡むので、さながら放し飼いの動物園の様相を繰り広げる。
動物には大きく分けて、陸に棲む生き物、空を飛ぶ生き物、海や河に棲む生き物、水陸両棲の生き物がいる。昆虫もいる。魂の役割に蜂や蜘蛛をもつ人もいる。
魂の役割(本質)は善悪でなく、高等・劣等、卑しいもの、高貴な者といった差別を排除している。あくまでも神が魂に割り振った役割である。ちょうど舞台や映画、テレビドラマで俳優が役を演じているようなものである。幕が下り舞台を降りれば、どんな役の俳優でも、殺人犯を演じたからといって責められることはない。

子として生まれてくることの意味。
まず、自然流産と人工中絶について説明しよう。自然流産は親(男女)の都合である。子のの側には生まれる意思があったのに、親の側に、この子は我々夫婦(男女)に相応しくないという魂レベルでの判断である。夫婦のどちらか一人か、あるいは二人ともか様々であるが親の魂の役割に相応しくない子だったのである。子の選択と親の選択が一致しなかったわけである。
親子仲良くなんって平々凡々の生温い魂の役割は少ないのである。そんな役で生まれてくるのでは意味がない、無駄な役割と時間ということである。

一方、人工中絶。これは子の都合である。子の魂が、この親の子として生まれたいと狙い定めたのであるが、母親のお腹の中にいる間、う~ん、この親違った!この親では自分の魂の役割が果たせないことに気が付いて、や~めた、と舞台の幕を降ろしてしまったのである。だから親が罪の意識を感じることはない。子の魂の役割に相応しい親でなかった、というだけの話である。
親の自責の念につけこむ宗教者、霊能者がいるので、注意を!

親子仲良しも、悪くも、憎しみあっても、死んでほしいと思っても、親には親の魂の役割があり、子には子の魂の役割があって、それは縦に横に複雑に織り込まれているので、お互いが役を演じているということを忘れないでほしい。
血の繋がり、腹を痛めた、手塩にかけて、育ててもらった恩を仇で返すのかといった親の言い分や、子を束縛するな、親の都合は迷惑、親の思い通りになるものかといった子の言い分は、ほとんどが間違った思い込みである。
ましてや、お宅の子は躾が悪いとか世間がとやかく言うのは止めたほうがいい。

○親子、それは目的が一致していない者同士が集まってチームを組んでいる。

○同じ舞台に立ってはいるが、お互いに相手の役柄を知らないでひとつの演目を演じている。

なので、人間関係の中でも、比較的お互いの目的が一致している友人関係、男女関係、夫婦関係、仕事関係と比べると、難しい関係と言える。

家族を上手く演じるヒント…深く干渉せず、自分の気持ちを押し付けず、それぞれが自分の魂の役割に撤することである。自分の現状を親のせいに、子供のせいにしないことが肝心…あ~あ~早く自立したい、自立してほしい!