自分からやりたいと名乗り出ておいて、こんなこと言うのはちゃんちゃらおかしい話だということは重々承知なのだが、舞台に出たいけど、稽古に行きたいけれど、行きたくないなあ、降板したいなあと、途中で投げ出したくなることが多々ある。

 

 

何時ぞや『徹子の部屋』を見ていたら、ゲストに神木隆之介くんが出ていて、徹子さんに「あなた役者を辞めようと悩んでいた時期があるの?」と訊かれ、「ドラマや映画に出させてもらうのは、いろんな人の人生を背負っていることでもあるんだなって。強くプレッシャーに感じていた。」と語っていた。

 

 

僭越ながら、うわあああああああああああああああああめっちゃわかるわあああああああああああああああと思いながら聞いていた。

 

 

舞台もそうなのだが、自分以外にも沢山役者さんが出演されるし、そもそも舞台というのは役者だけで成り立つものではない。演出家さん、脚本家さん、音響さん、照明さん・・・もうね、挙げたらきりがないほど大勢の人が関わってくださって公演というものが成立する。

 

役者というのはついつい自分たちだけで公演を作っている気になりがちだから、それを常に念頭に置かなければならないなあと思う。

 

でも、いろんな人が関わっているからこそ、その人たち一人ひとりの人生に関わっているんだなあと思うと、みんなに迷惑かけられないなあと思うし、それがすごくプレッシャーに感じるし、名乗り出た以上は、やっぱり辞めますとも言えないし、でもめっちゃプレッシャーに感じるし・・・っていうネガティブなループにハマってしまう。

 

 

 

話は変わって、『徹子の部屋』といえば、私は10代の頃から「窓ぎわのトットちゃん」が大好きで、黒柳徹子さんも大好きなのである。「窓ぎわのトットちゃん」のおかげで、表紙絵、挿絵に使用されている画家・いわさきちひろさんの存在を知り、こちらもファンになった。何年か前京都でいわさきちひろさんの展覧会が開催されていたので観に行った。去年「窓ぎわのトットちゃん」が映画化されたので勿論観に行った。泣いた。10代の時に読んだ時と、大人になってから観るのと、自分の感じ方も違っていて楽しかった。

 

そして、「続 窓ぎわのトットちゃん」も発売され、迷わず買ったのだが、これもまた読んでいて面白かった。徹子さんは現在の東京音楽大学を卒業後、NHK専属のテレビ女優第一号になるわけだが、僭越ながら私も大阪芸術大学の通信教育部で学んでいた時があったり、今は役者の芸能事務所に所属しているので自分自身の経歴と重なることも多かった。

 

徹子さんが音楽大学在学中に見えていた世界、感じていたこと、NHK専属のテレビ女優になってから見えていた世界、感じていたこと、本当に同じようなことを徹子さんも私も感じていた部分があった。

 

 

以下、「続 窓ぎわのトットちゃん」より。一部抜粋。

 

 

“トットよりもずっと歌の上手な先輩たちですら、オペラ歌手として活躍できないまま、結婚したり、音楽の先生になったり、音楽関係の会社にお勤めしたりしていた。世の中のきびしい現実を見る思いがした。”

 

 

“いろんな話を聞くにつけ、トットもどこかで修業をする時間が必要なのではと思うようになっていた。見る人が見たら、トットのことを、もの足りないと思うだろう。いつまで経ってもお嬢さんみたいな芝居で、まずはそれをなんとかしなければならない。(中略)「コンプレックスを克服して、女優としての武器を身につけたい」トットは強くそう思った。”

 

 

あの黒柳徹子さんですら、自分の演技で悩んでいた頃があったなんて…あれだけ毎日テレビに出ている人でも悩んでいたものなのだなあと嬉しいような意外なような、そんな気持ちであった。と同時に、悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、とも思えた。

 

 

 

…冒頭の話に戻って、ちょうど先日から稽古が始まったばかりで、これからまた公演に向けて進んでいく訳だが、稽古が始まるまでは自分が周囲の足を引っ張るのではないかとか、憂鬱で憂鬱で仕方がないのだが、いざ稽古場に向かい、役者の皆さんと顔を合わせると、ああ、来てよかったなあと思う。

 

 

私は、役者をやっている人たちが好きなんだなあと思う。

 

役者さんたちと関わっていられることが好きなんだなあと思う。

 

役者さんたちが憧れ。そう思う。

 

 

 

さくらももこのエッセイ「ひとりずもう」の一節にこんなのがある。

 

“私は、漫画家になりたい。小さい頃からそう思っていたのだ。絵も好きだし、文章も好きだ。それ以外の事は全部苦手だ。そんな事、最初っからわかっていたのに、私は何を迷っていたんだろう。”

 

 

 

私もさくらももこ先生同様、何を迷っていたんだろう。