ずっと疑問なのである。
なぜ「お菓子をくれないといたずらされる」のか。
こんな理不尽極まりないことが他にあるだろうか。
私はキリスト教もカトリックも信仰していない、所謂無宗教で、ハロウィンの意味も調べてはみたものの、いまいち理解できずにいる。
それにしたって、たまたま家にお菓子が置いていないからといっていたずらされるのは理不尽極まりないように思うのは私だけなのだろうか。
「いや、お菓子貰われへんねやったら黙って帰れよ」と私は思ってしまう。
なんか、調べると、お菓子を渡すのは所謂“魔除け”の意味があるだとかなんとか。
ならば別に「お菓子くれなきゃいたずらするぞ!」じゃなくても、私だったら寧ろ「お菓子作ったんでよければどうぞ!あ、別に私が勝手に作ったやつだからお返しとかそんなん要らないです!」とか言って自分から配りに行きたい。もし自分がハロウィンをやるのであればそうしたい。それじゃああかんのか。かえってそっちのほうが迷惑なのだろうか。
「そうか、家にお菓子ないのか、だったらこれ食べなよ!」ぐらいの要らんお節介焼き加減があってもいいんじゃないか。やっぱりあかんのか。
そもそも、なぜ私がこんなにも「お菓子くれなきゃいたずらするぞ!」という言葉にやたら違和感を覚えるのかというと、この「お菓子くれなきゃいたずらするぞ!」という言葉、うっかりすると『お菓子くれなかったら、自分の思い通りにならかったら相手に危害を加えても何ら構わない』と解釈されかねない危険性を含んだこの言葉が私はどうも苦手で苦手でしょうがないのである。もっと違う言い回しはないのだろうか。
私の考え過ぎだろうか。
どうも私は、毎年毎年この時期になると、この言葉に違和感を覚えてしまう。
「別に意味なんか考えずに楽しんだらええやん」そう思う人も多いだろう。
でも、本来のハロウィンのルーツや意味も考えずにただただハロウィンに便乗して盛り上がりたいだけの群衆が騒ぎまくった結果があの事故ではないのか。
純粋なキリスト教徒の人たちからすれば、あの、ただただなんでもいいからとにかく理由を付けて騒ぎたいだけのイベントは、冒涜以外の何ものでもないと思う。
こんなことを考えている私の頭のほうがよっぽどおかしいのだろうか、とつくづく疑問に思う。
【師の芋に服さぬ弟子の南瓜かな】平川 へき(明治・大正期の俳人)