世界から取り残されている感覚がする。周囲は広い海に出て自由に泳いでいるように見えるのに、かたや私はというと、いつまで経ってもちっちゃな金魚鉢の中で、狭い水槽の中でしか泳げていないような気がする。例えばレッスンが終わって仲間と別れてひとりになった帰り道。天王寺駅とか大量の人混みの中でひとり泣きそうになることが多々ある。道をすれ違う見ず知らずの人たちは、きちんと自分の人生を全うして日々を生きているように見えて、それに引き換え私は何でこうも何も変わらないのだろうと悲しくなる。それこそ生きてて意味あるんだろうかとまで思う。

 

 

前回あれだけ長々と語った映画「さかなのこ」の感想続編です。どんだけこの映画にハマってんねんアホちゃうかという感じではありますが、(実際アホなんで許してください)まだ語りきれていない部分を語ろうと思います。

 

 

さかなクンのモデルであるミー坊は、大人になっても幼少期と変わらず、ずっとおさかなさんが大好きで寝ても覚めてもおさかなさんが大好きなことに何ら変わりはありません。

 

そんなミー坊を見て、ミー坊の幼馴染みたちは口々にこう言います。

 

 

「お前ホント変わんねえな。」「相変わらず魚が好きなんだな。」

 

 

そう言う幼馴染みたちがミー坊を見つめる眼差しは、けっしてミー坊をことを馬鹿にしたり見下している訳ではなく、幼少期からずっと変わらずにおさかなさんが大好きでい続けるミー坊を尊敬というか、慈愛のような眼差しで見つめていました。

 

 

 

私もこのシーンはとても自分の経験とシンクロしていました。

 

 

 

私は、ずっと舞台が、演劇が大好きで、ずっとそればかりを追いかけてきているけど、時として、それがコンプレックスに、負い目に感じることがある。

 

 

私の地元は田舎なので昔の同級生たちは比較的結婚も早い。

 

 

私みたいに、今年27歳にもなって独身で、こんなに舞台舞台舞台演劇演劇演劇声楽声楽声楽と四六時中舞台関係のことばっかり考えているのって、マイノリティだと思う。

 

今師事している作曲家先生に習う前、ピアニストをしているピアノの先生にピアノは習っていた。その先生もよく言っていた。「音楽の勉強に終わりはないからね。」本当にそう思います。芸事に終わりなんてない。だからこそ、今でもずっとレッスンは続けている。

 

ただ、ふとした瞬間、周りを見渡した時。そりゃあ、同じ役者仲間とか、同じ作曲家先生の他の教え子さんたちは、ずっと学びは辞めずに常に芸事に精進し、切磋琢磨している。

でも、同じ世界にいない、所謂外の世界の人たちを見渡すと、大人になって、社会人になってもずっと芸事に精進してる人なんてそうそういない。恐らく世の中の大半の人が習い事なんて小学校卒業までぐらいで終わってるんじゃなかろうか。

 

 

同じ芸事という水槽の中で泳いでいる間はまだいい、いざ外の世界、海に飛び出した時に、自分が泳いでいる水槽と、世間一般の人が泳いでいる海があまりにも違い過ぎて、幼少期から何も変わらずに一途に舞台舞台舞台演劇演劇演劇声楽声楽声楽と四六時中舞台関係のことばっかり考えている自分がダメ人間のように思えて泣けてくる。私が金魚鉢で楽しく遊んでいる間に昔の同級生たちは大きな海でのびのびと自由に泳いでいた。

 

 

それこそ、太宰治の『人間失格』の一節、“自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安” まさにそれでした。正しく、その不安のために悩んだり、不安になったり、泣いたりを繰り返していました。“自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。” なんやねんこれ大庭葉蔵と全く一緒やないか自分。

 

 

そんな私なので、ミー坊を囲む幼馴染みたちの優しい眼差しはとても心に沁みました。

 

 

思えば私もミー坊と同じようなことを言われました。「よつばちゃんは本当に音楽が、演劇が、舞台が好きなんだね。」

 

今の芸能事務所の社長さんにも公演が終わった後に言われました。「よつばちゃんは本当に演劇が好きな感じがする。舞台に立つ姿を観ていて思う。」と。

 

 

スクリーンに映るミー坊を観ながら思いました。水族館の水槽越しにタコを見つめながら「タコさんって可愛いねえ~!」と話すミー坊。カブトガニを見ながら「カブちゃんと散歩していいですか!」と嬉々として話すミー坊。自分で作った魚の剥製たちに囲まれながらお昼寝をするミー坊。全部私なんだ、私自身のことをスクリーン越しに観ているのだと。

 

 

私はずっと、昔の同級生たちと違って小さな金魚鉢で泳いでいると思っていました。映画「さかなのこ」を観て、ミー坊を取り囲む周りの人たちの温かさに触れ、私自身も、私の周りの人たちは、私のことを、広い海でのびのびと泳ぐさかなのこのように見てくれているのかなと、この映画を通して思いました。

 

 

変わらないって、ずっと悪いことのように思っていたけど、(勿論時と状況によっては変わらないといけない場合もあるが)映画「さかなのこ」を観ていたら、ミー坊やさかなクンのように、ずっと好きでい続けられることもある意味才能なんだなって気付いた日。

 

これからも何があっても舞台を、演劇を諦めないぞ。

 

 

 

2017年に京都水族館に行ったときのやつです。鰯の群れがばり凄い。大阪在住ですが、海遊館よりも京都水族館のほうがなんか好きです。

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