記憶に残ってる学校の先生はいい意味でも悪い意味でも大勢いますが、
今回は中学2・3年の時の数学の先生(女性)。
その先生、新川和江さん作詞の合唱曲、「名づけられた葉」に対してかなり愛着があるのか朝出勤して来る時でも休み時間に廊下を歩いている時でも授業中でも所構わず「名づけられた葉」を口ずさんでいました。
授業中、生徒が解いた数学の公式を順番に見ていきながら、ある時は「犬のおまわりさん」だったり、またある時は「名づけられた葉」だったり、何かしらの歌を口ずさみながら生徒の問題の添削をしていく先生でした。
個性が爆発している。
私も先生も朝学校に来るのが早くて、
朝、まだ先生も生徒もほとんど登校してきていない朝の静かな校舎内で先生がひとり、『♪わた~しは~ 呼ば~れる~ わた~しは~ 呼ば~れる~』と先生の歌声が聴こえてくるので、「あ、先生が来たんだな」とわかります。
個性が爆発している。
歌詞一部抜粋↓↓
“わたしも一枚の葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ
にんげんの歴史の幹から分かれた
小枝に不安げにしがみついた
おさない葉っぱにすぎないけれど
わたしは呼ばれる
わたしは呼ばれる
わたしだけの名で朝に夕に”
当時、朝日新聞で毎週日曜日だったか、「あたしンち」の連載をしていて、それを週明けの月曜日にいつも先生が新聞を持ってきてくれるので、いつも一緒に「あたしンち」の連載を読む仲でもありました。
そんだけ「名づけられた葉」がやたらと好きな先生なので、自分の担任クラスの文化祭の合唱曲も「名づけられた葉」にするぐらいでした。(私はその先生は担任にはなったこと無いですが。)
なぜそんなにも「名づけられた葉」に愛情を注ぐのか、とくに理由は聞かなかったので理由は未だ謎のままです。
その先生の人生でいったい何があって、あんなにも新川和江さんの「名づけられた葉」にこだわりを持っているのかは計り知れないですが、私にとってはこの「名づけられた葉」の歌詞は、大人になってからのほうが響いてくるというか、好きな歌詞です。
“だからわたし 考えなければならない
誰のまねでもない
葉脈の走らせ方を 刻みのいれ方を
せいいっぱい緑をかがやかせて
うつくしく散る法を
名づけられた葉なのだから
考えなければならない
どんなに風がつよくとも”
この土日はずっと事務所の演技レッスンだったり、個人的に習っている作曲家先生の下での和声学・声楽レッスンだったり、とても充実した土日でした。
演技レッスンでもそうですが、それこそ「名づけられた葉」の歌詞にあるように誰のまねでもない、葉脈の走らせ方を 刻みのいれ方を演劇では考えなければなりません。
それこそ名づけられた葉なのだから考えなければならないのです。
わたしは呼ばれる
わたしは呼ばれる
あの数学の先生はいったい誰に呼ばれていたというのか。
今となっては(いや、当時も) 知らんがな(´・ω・`) です。
昔に長居植物園で撮った写真。