前回の記事では、JWという名称の背後に潜む内部的な弊害について、
個人的な見解を書かせていただきました。
今回は「外部」への影響について感じていることを書きたいと思います。
あくまでもボクの知る範囲の話ですが、
一般の方々が「JW」と聞くと、良くない印象を受けることの方が多いように思います。
では、
なぜ、そもそも内部事情に精通していない一般の方々が、
悪い印象を受けるのか?
実際はJWが主張するほど「神と愛の組織」という認識は、人々に浸透していないからです。
むしろ、
・輸血拒否
・誕生日や祝祭日を祝わない
・政治活動に関わらない
・排斥や断絶にまつわる忌避制度
・宣教による一方的で独善的なスタンス
・etc....
ボクの両親や親族、会社の人たち、それまでの友人たち、
未信者のご主人たち(友好的であっても)は、
JWのこうした教理に理解し難く感じていました。
ネットの世界では、いっそうそのことが目立ちます。
結果、「またエ○バの連中が来た」などと、
人々の間で神の名はぞんざいに扱われています。
しかし、JW組織は、そうした人々の態度の要因について次のような見解を示しており、
無論、信者たちの認識も概ねこの通りです。
“わたしたちはクリスチャンの規準に従うので世の人たちとは異なっているのであり,そのため世は『わたしたちのことをあしざまに言う』でしょう。(ペテロ第一 4:4)そうしたことは,学校や職場で,さらには家庭内でも生じかねません。(ルカ 9:23)それでもわたしたちは,しり込みすることなく世からの侮べつを耐え忍びます。もはや自分のために生きてはいないからです。イエスはこう述べました。「人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです」。(マタイ 5:11,12)そうです,神の恵みを得ることこそ肝要なのです。”
(*WOLより引用:強調作者)
こうしたスタンスを学び続ける信者たちが、
一般の人々からの厳しい視線を感じた時、
どのような思考に走るか、容易に想像できるでしょう。
でも、そうした人々の多くの反応は、
前述でも触れたように、一概に「クリスチャンの規準に従う」からとは言えません。
なぜなら、そもそもJWのオリジナル教理の多くは、
聖書的な根拠が著しく乏しいからです。
もちろん、評価されるべき点もあります。
聖書的根拠にしっかりと根ざしている、
正直さや真面目さはJWの良い特徴の一つとして評価されています。
しかし、興味深いのは、それゆえに褒められることはあっても、
批判する人についてはほとんど聞いたことがないという点です。
JWに限って言えば、人々を「あしざまに言」わせているのは、純粋なクリスチャンとしての生き方というより、むしろオリジナルな伝統教理に起因していると結論するのが妥当に思えます。
彼らは、「JW」と名乗ることにより、自らを苦境に立たせています。