約束手形の商事留置権を有する銀行が再生手続開始後に取立金を再生債務者の債務の弁済に充当することの可否
最高裁判所第1小法廷判決平成23年12月15日
不当利得返還請求事件
『平成24年重要判例解説』民事訴訟法9事件
【判示事項】 会社から取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する銀行が,同会社の再生手続開始後の取立てに係る取立金を銀行取引約定に基づき同会社の債務の弁済に充当することの可否
【判決要旨】 会社から取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する銀行は,同会社の再生手続開始後の取立てに係る取立金を,法定の手続によらず同会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定に基づき,同会社の債務の弁済に充当することができる。
(補足意見がある。)
【参照条文】 民事再生法53-1
民事再生法53-2
民事再生法85-1
商法521
手形法18
手形法77-1
民法91
【掲載誌】 最高裁判所民事判例集65巻9号3511頁
判例タイムズ1364号78頁
金融・商事判例1387号25頁
金融・商事判例1382号12頁
判例時報2138号37頁
金融法務事情1940号96頁
金融法務事情1937号4頁
1 事案の概要等
本件は,X会社から取立委任を受けた,本判決にいう本件各手形につき商事留置権を有するY銀行において,X会社の再生手続開始後に本件各手形を取り立て,その取立金を法定の手続によらずX会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定に基づき,Y銀行の再生債権である当座貸越債権,X会社からみれば当座貸越債務約9億7000万円の一部弁済に充当したことにつき,この弁済充当の可否を争うX会社が,Y銀行に対し,不当利得返還請求権に基づき,取立金約5億6000万円の返還を求める事案である。
不当利得の成立要件の一つである「法律上の原因なく」との関係において,判示事項記載の弁済充当の可否のみが争点とされた事案であり,相殺の抗弁や留置権の抗弁は提出されていない(なお,留置権の抗弁については,最一小判昭27.11.27民集6巻10号1062頁,判タ26号40頁も参照)。上記争点については,商事留置権は,民事再生法上,別除権として定められているものの(同法53条1項,2項),破産法66条1項と異なり(破産法の分野については,事例判例ではあるが,最三小判平10.7.14民集52巻5号1261頁,判タ991号129頁がある。),優先弁済権が付与されていないため,銀行が取立金を銀行取引約定に基づき再生債権ヘの弁済に充当することは,弁済禁止の原則を定める民事再生法85条1項に反し,許されないのではないかが問題となる。
2 検討の視点
本件については種々の視点からの議論があるが,本判決の判文に照らせば,第1に,取立委任を受けた約束手形についての商事留置権によりその取立金も留置することができるのかという点(「再生手続開始後,取立金について新たに商事留置権を取得した」という法律構成ではないことにつき,民事再生法44条1項参照),第2に,取立金を法定の手続によらず会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定が民事再生法上も有効であるのかという点から検討することが有用である。この二つの視点からは,X会社の請求を認容すべきであるとした原判決は,取立金については留置権の留置的効力が及ばず,取立金を法定の手続によらず債務の弁済に充当し得る旨を私人間で合意しても,その合意は,民事再生法上,無効であると判断したものであり,X会社の請求を棄却すべきであるとした本判決は,取立金についても留置権の留置的効力が及び,そのような取立金を法定の手続によらず債務の弁済に充当する旨を私人間で合意すれば,この合意は,民事再生法上も有効であると判断したものということができる。
3 近時の下級審裁判例・学説
近時の下級審裁判例・学説も,先の二つの視点から,大別して,次の3説,すなわち,①取立金には留置的効力は及ばず,本件条項のような銀行取引約定は無効であると解する第1説(本件の原判決。なお,民事再生手続が廃止され,破産手続に移行した事案についてではあるが,東京地判平23.8.8金法1930号117頁),②取立金にも留置的効力は及ぶが,本件条項のような銀行取引約定は無効であると解する第2説(福井地判平22.1.5金法1914号44頁),③取立金にも留置的効力が及び,本件条項のような銀行取引約定も有効であると解する第3説(伊藤眞ほか「座談会・商事留置手形の取立充当契約と民事再生法との関係」金法1884号8頁〔伊藤眞ほか〕,村田渉「民事再生手続における取立委任手形の商事留置権の取扱い」金法1896号20頁,岡正晶「商事留置手形の取立充当約定は再生手続開始後も有効と判断した高裁判決」金法1914号28頁)に分類することができる(ただし,商事留置権の留置的効力が取立金にも及ぶかという点についての判断を留保しつつ,取立金の弁済充当を肯定するものとして,名古屋高金沢支判平22.12.15判タ1354号242頁,金法1914号34頁,逆に,これを否定するものとして,山本和彦「再生手続開始後における割引手形の取立金による弁済充当」金法1929号11頁もある。)。
4 本判決の立場
(1) 本判決は,留置的効力が留置権の本質的な効力であること,留置権による競売制度もこのことを否定する趣旨に出たものではないこと等を理由に,取立金にも商事留置権の留置的効力が及ぶと判断したものであるが(第1説の否定),取立金に商事留置権の留置的効力が及ぶというためには,取立金が商法521条にいう「自己の占有に属した債務者の所有する物又は有価証券」に当たることが必要である。この点につき,「金銭の所有権者は,特段の事情のないかぎり,その占有者と一致する」と判示した最二小判昭39.1.24裁判集民71号331頁,判タ160号66頁との関係が問題となるが(なお,「金銭については,占有と所有とが結合しているため,金銭の所有権は常に金銭の受領者(占有者)である受任者に帰属し」と判示した最二小判平15.2.21民集57巻2号95頁,判タ1117号211頁は,当該事件で争点とされた「損害保険代理店の開設した保険料専用の普通預金口座における預金債権の帰属」を決するに当たっての限定的な判示をしたものにすぎず,前掲最二小判昭39.1.24の立場を変更するものでないことは明らかである。),本判決は,取立金について上記特段の事情があると認めたものと考えられる。特段の事情を認めたと解し得る先例として,共同相続人の一人が遺産分割までの間に相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している場合についての最二小判平4.4.10裁判集民164号285頁,判タ786号139頁があり(道垣内弘人「遺産たる金銭と遺産分割前の相続人の権利」家族法判例百選〔第7版〕136頁),取立金も「取立委任を受けた銀行が,当該約束手形を取り立て,取立金として保管している金銭」であると構成することにより,遺産分割前の相続開始時に存した金銭の場合と同様に,金銭における所有と占有の例外的不一致を認めることができると思われる。
もっとも,取立金である金銭が留置権者である銀行の一般財産に混入して特定性を失うことになれば,商事留置権の目的物たり得ないことは明らかであるものの,個々の現金(紙幣や貨幣)を封金として保管しなくとも,取立委任を受け,取立てを完了した銀行が,その取立金の管理を適正に行なっている以上は,商事留置権の目的物としての特定に欠けることはないと思われる(例えば,内海順太「取立委任手形の商事留置権と民事再生手続」銀法710号9頁は「山本克己教授は,価値変形物である金銭が留置権者の一般財産に混入して特定性を失った場合にも留置権が存続し続けると解すべきかどうかについては議論の余地がある,と指摘している。この点,少なくとも銀行が行う手形の取立金の管理に関しては問題がないことは言うまでもない。」とする。)。本判決の「取立金が銀行の計算上明らかになっているものである以上」という判示部分は,取立金が商事留置権の目的物としての特定に欠けることはないことをいうものと解される。
(2) 取立金に留置的効力が及ぶとしても,留置権の権能として,優先弁済権がないことはもとより(留置権者は,相殺によって事実上優先弁済を受けたのと同じ効果をもたらすことができるが,「これは,留置権の優先弁済権の否定とは無関係のことであり,あくまで,相殺制度によってもたらされる効果である。」〔近江幸治『民法講義Ⅲ担保物権〔第2版補訂〕』35頁〕),弁済受領権もないと解されている(高木多喜男『担保物権法〔第4版〕』33頁「留置権者は一般債権者として,債権の効力により(留置権には,弁済受領権はない。),配当を受けうる。」,鈴木忠一=三ケ月章編『注解民事執行法(5)』387頁〔近藤崇晴〕「留置権とは,債権の弁済を受けるまでその物を留置する権利であるに過ぎず,その物の価値自体を弁済に充てる権利ではない」,伊藤ほか・前掲21頁〔村田渉〕「弁済受領権(弁済充当権)は債権の本質としてあるように思います。」等参照)。
そこで,取立金に留置的効力が及ぶとの前提に立つとしても,本件条項のような銀行取引約定を無効と解するか(第2説),有効と解するか(第3説)が次に問題となる。第2説を前提とした場合であっても,商事留置権者である銀行としては,再生手続中は取立金を留置し続けることが可能である。また,再生手続の終結後に当座貸越債権と取立金返還債権とを対当額で相殺することも可能である。さらに,再生手続の終結を待つことなく別除権協定の締結により債権回収を行うことも可能である(ただし,相応の譲歩を求められることになろう。)しかし,留置権は,目的物を留置してその引渡しを拒絶することにより間接的に債務の履行を強制するにすぎないものであるところ,留置権の目的物が金銭である場合にはその留置的効力は十分に機能し得ないように思われる。本件の事案に即して言えば,再生債務者であるX会社が,商事留置権者であるY銀行に高額の金銭(約9億7000万円の本件当座貸越債務)を弁済して,低額の金銭(約5億6000万円の本件取立金)を受け戻そうとする動機や合理性は全く存しないであろう。他方,留置的効力の及ぶ取立金とは,留置という態様であるにせよ,いわば留置権の支配下に置かれた金銭であり,再生計画の弁済原資や再生債務者の事業原資に充てることをおよそ予定し得ないものである。そうであるならば,留置的効力の及ぶ取立金につき私人間の合意による弁済充当を認めたとしても,民事再生法の趣旨,目的に反することにもならないであろう。別除権の行使に付随する合意として(村田・前掲32頁参照),本判決が本件条項のような銀行取引約定を有効と解する第3説を採用したのは,以上のような考慮に基づくものと思われる。
(3) 本判決の射程については,本判決は,商事留置権の目的物が約束手形という,金銭ヘの換価が本来的に予定され,その換価も手形交換という取立てをする者の裁量等の介在する余地のない適正妥当な方法によることが制度的に担保されているものである場合について判断したものであり(前掲最三小判平10.7.14は「銀行による取立ても手形交換によってされることが予定され,……手形交換制度という取立てをする者の裁量等の介在する余地のない適正妥当な方法によるものである」と判示する。),商事留置権の目的物が約束手形以外のものである場合についてまで本件条項のような銀行取引約定を常に有効と解するものではないと解される。他のいかなる場合に上記銀行取引約定が本判決にいう「別除権の行使に付随する合意」と評価され,民事再生法上も有効と認められるのかという点については,本判決後の残された問題点である。
(4) 金築裁判官の補足意見は,破産法と民事再生法との比較,商事留置権者の他の債権回収方法についての検討をするなどして法廷意見を敷衍するものである。同意見で指摘された「本件のような手形について,再生手続開始前に取立金引渡債務に係る停止条件不成就の利益を放棄することによって相殺が可能になるという見解」について補足する。取立委任を受けた銀行が委任者に対して再生手続開始当時に負担する金銭債務とは「当該手形の取立完了を停止条件とする取立金引渡債務」であり,上記銀行は当該手形の取立完了という停止条件が成就しなければ取立金引渡債務を負担することはないという意味で「停止条件不成就の利益」を有する。最一小判昭47.7.13民集26巻6号1151頁,判タ280号230頁,最二小判平17.1.17民集59巻1号1頁,判タ1174号222頁も参照すれば,停止条件付債務を負担する再生債権者が再生手続開始前に停止条件不成就の利益を放棄したときは,再生手続開始当時に無条件の債務を負担したものとして,これを受働債権とする相殺が認められるとする肯定説(伊藤眞ほか『条解破産法』509頁等)も一概に否定できないところである。しかし,仮に肯定説を前提としても,停止条件不成就の利益の放棄は銀行にとって将来の手形不渡りのリスクを全面的に引き受けることにほかならないから,個別事案における手形サイトの長短や振出人の信用状態にもよるが,一般的には,停止条件不成就の利益の放棄による相殺は「銀行にとって極めて限られた場合にしか選択できない方法」であると評価されてもやむを得ないであろう。