悪夢のようなあの時期、どうやって過ごしてきたのか..。
ありがたいことに、実のところ、辛かった記憶は薄れてしまっています。
今こうして書いているのは、当時の日記があるからです。
読み返すと、当時の記憶が生々しく蘇ってきて、胸が塞がりそうになるのですが..。
どんなに辛くて、もうダメだと思っても、それを日記に書いてしまうと、ほんの少しだけ楽になっていました。
ただひたすら、あったことをそのまま書き連ねて行くことが、危うい心のバランスをとってくれているようでした。
人に見せるつもりで書いたのではないので、恥ずかしいですが、一日分だけ公開しようと思います。
自分用なので、わかりにくいところがあるかもしれません。
110427 起きてみると、廊下に大便の固まりが、点々と続いていた
玄関に小便をした跡があった
2階にいたので、呼んで、その大便を見せた
自分でやった認識はないみたいだった
クィックルで掴んでは便器までもっていって捨てた
洗面所と便器のマットにはべったりとついていた
そこもできるだけ拭き取った
後はどうしようもないので、そのまま洗濯機に放り込んだ
スリッパを片方履いていて、裏を見たら便がこびりついていた
裸足の足の方はくるぶしまでついていた
浴室でズボンを脱がせようとしたが、どうしてもダメ
足だけは洗わせた なかなかとれなかった
ズボンの後ろに便が少量ついている
パンツからしみ出ているのかもしれない
もう私の限界を超えているのかな..
今も汚いズボンのまま歩き回っている
どうしたらいいんだろう..もうダメだ..精神病院に入れるかな..
ズボンを脱がせようとすると、憎々しげな目で私を睨む
これ以上やろうとするとまた暴力に繋がるのはわかっている
そばに来ると臭い こっちの気が狂いそうだ
一階の廊下と洗面所を、蒸気クリーナーで掃除した
力を入れると、脇腹がズキっと痛む
屈んでも痛いし、何しても痛い
食事をしていないけど、この大便臭のまま食事するのか..
作る気にもなれない
メロンパンが一個冷凍であったので、暖めて食べさせた
私は食べる気にならない
薬も飲ませなかった
どのみち拒否だろうし、飲ませようとする気力がなかった
お風呂に入りましょう作戦で、相当頑張ったが、結局ダメ
私一人で入った
一人で体を洗っていたら、そばにきて肩を揉んでくれた
垢すりを渡すと背中を流してくれた
でも結局、服を脱がすことはできなかった
大便のついたズボンのまま歩き回っている
私のソファのクッションの上に座った
臭いを嗅いでみたら大便臭がした やっぱりしみ出ている
またこのままベッドに入るのだろうか..身震いがする
精神病院に電話してみた 認知症対応ではないとのこと
でも話は聞いてくれた
外来で行って、相談してみるしかないかな..
電話をしていた時、下に行って排尿の音がした
行ってみると、浴室のドアめがけて小便をしていた
浴室用のマットはぐしょ濡れだった
溝に入ってしまって、掃除のしようがない
内側からはシャワーをかけた ドアは紙で拭うしかできなかった
ズボンは脱いであった パンツは便付きのまま
脱がせようとしたら、うるさい!!と怒鳴りだした
そのままベッドに入っている もうシーツからなにから、便だらけだろう
私にどうしろというのだ!!!私はそんなに悪いことをしてきたのか!?
これは天罰なのか?あんまりだ...
食堂のベンチの上に、防水マットを敷いてその上に座らせ、夕食を食べた
グラマリールとエビクサは飲ませた
一階で音がするので行ってみると、パンツを半分降ろして大便をしていた
朝、排便があったから、便座を上げておいたのだが、そのまま跨がっていた
便座を下げて座らせて、汚れたパンツを脱がせ、ウォッシュレットで洗った
紙を渡したが拭けなかった
じゃ、ついでにシャワーをあびちゃおうと言って浴室に誘ったらついてきた
下半身にシャワーをかけて石けんで洗おうとしたが、すぐ不穏な状態になった
浴室のドアを閉め切ると、暑かったのか、上も脱いだ
お湯をかけると怒る
もうこのまま入ってと浴槽に入るのを奨めたら素直に入った
浴槽に入っている間に、急に怒り出して、バカヤロウと叫びながら上がってきた
私の腕をつかみねじり上げ、体をドン!っと押した
洗面台脇の引き出しに思い切りぶつけられた
これはもうダメだと思い、二階に駆け上がり受話器を持った
二階まで追いかけてきたので、下へ逃げ外に出た
幸い虫の知らせで、カギはかけていなかった
しばらく経って覗いてみるとベッドに素っ裸で寝ていた
私を見つけると牙を剥きだし、コノヤロウと叫びながら走ってきた
また外に出てドアを閉めた
またしばらくして開けてみると、外履きのビーサンがない
玄関のたたき、廊下に小便をしていた
ビーサンを片方履いたまままた飛び出してきて威嚇した
なんでお風呂にいれてきれいにしてあげただけなのに、怒るの?殴るの?と聞いた
ら、しばらく不思議そうな顔をしていた
そこ掃除させてねと言ったら、うんというので、掃除した
掃除洗濯が一段落して(もう蒸気クリーナーをかける元気はない)、風邪引くからと
言って、Tシャツを着せた
リハビリパンツを履かせようとしたが、これはダメだった
普通のパンツを出して渡したら自分で履いた
こういった日々が、いつ果てるともなく延々と続いていました。
5月中旬にグラマリールを50mgに増やしました。
5月末には、体が前屈みになり、少し傾いてきました。
時々、ふらつくこともありました。
グラマリールのせいなのかもと思いました。
それでも私は、それを止めることも、減らすこともしませんでした。
できなかったのです。
それほどまで、私は追い詰められていました。
若年性認知症は体力があり、暴れた場合収拾がつかないので、普通の施設では受け入れてくれません。
この苦境から逃げようとすれば、精神病院の選択肢しかありませんでした。
毎日、心が揺れ動きました。
もう限界だ..やっぱり入れようと思っても、心細そうな様子をしている夫を見ると、いやいや..ダメだ、到底私は、入れることはできないと思ってしまうのでした。
友人のご主人が、同じ病気で、精神病院に入っていましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
それも大きく私の心にのしかかっていました。
ケアマネさんを変えたいと思って、包括センターに相談しました。
紹介されてきたケアマネさんには、もう在宅で介護ができる時期を過ぎているから、一日も早く病院へ入れた方がいいですよと言われ、自分のところではケアマネを引き受けられませんと、断られました。
そうした中、ほんとに救われたのは、お泊まりデイでした。
110番をした翌週から、2泊3日で預かってくれました。
今にして思うと、よくあの状態で預かって下さったかと思います。
最初の泊まりの日に、夜電話をして様子を聞きました。
一日穏やかに過ごしていたらしく、お風呂にも入ったそうでした。
既にベッドに入っているらしく、何も問題ないですよと言われました。
うちは夜中に帰すような事はしませんから、安心してお休みくださいとも言われました。
涙が出るほどありがたかったと同時に、ああ、またケアマネさんが余計な事を言ったのだなと思い当たりました。
おそらく、最初のお泊まりデイでのいきさつを言ったのだろうと思いました。
このケアマネさんは、一言余計だし、介護関係の人達に対して、とても高圧的な態度をとっていました。
私のハンコがないと、お金がでないのですからと、二言目には言っていました。
思い起こせば、私が内視鏡検査入院するときのショートステイが、なかなか決まりませんでした。
いい返事が来ないんですよねぇと、ケアマネさんは言うばかりでした。
日にちは迫ってくるし、業を煮やして、私は直接ショートステイ先に電話して聞いてみました。
そうしたら、なんのことはない、お待ちしてますので、契約にいらしてくださいとの返事でした..。
とにかくケアマネさんを早急に変えないと、折角預かってくれているお泊まりデイでも、なにかトラブルを起こすかもしれないと思いました。
もう私は、このお泊まりデイがなければやっていけませんでした。
もともとこのケアマネさんは、主治医が紹介してくれた事業所の人でした。
主治医が、また別の事業所を紹介してくれました。
そこから来てくれたのが、今もお世話になっているケアマネさんです。
新しいケアマネさんは、ほんとに親身になって、助けてくれました。
話を聞いてくれて、プロらしいアドバイスをしてくれました。
いろいろな情報も持っていました。
市で、紙パンツおむつの補助をしてくれているというのも、教えてもらいました。
徘徊する人のためにネットワークができているのも知りました。
このケアマネさんと、お泊まりデイのおかげで、ほんの少し息を継ぐことができました。
一方、初期から通っていた、水中体操ができるデイには、ついに断られてしまいました。
夫が病気になって、介護認定を受け、デイサービスを使えるようになったとき、いくつかの施設を二人で見学に行きました。
どの施設も、利用者さん達は、親の年代の人達でした。
まだ症状も進んでいない頃でしたので、夫はあまりにも場違いな感じでした。
その中で、ここは、水中体操がメインだけど、終わった後泳がせてくれるということでした。
同年代の方もわずかながらいらっしゃいました。
無理にデイサービスを利用する必要もなかったのですが、一日中家の中で無為に過ごしているのを見ると、やっぱり外に行って、刺激を受けた方がいいのではないだろうかと思って、探した所でした。
病気が進んで、不穏な状況がでてくるようになってからも、よく面倒をみて下さいました。
そのデイの最後の日、連絡メモには、「お風呂には入れませんでした。お着替えだけをしています。すみません」という記載がありました。
持って帰った荷物はビニールに入っていて、洗ってあるようでした。
おそらく失禁して、着替えだけをしてくれたのでしょう。
あえて失禁しましたとは書いていなかったことに、スタッフの優しさを感じました。
爪もきれいに切ってもらっていました。
本当に長いことお世話になりました。
こうして少しずつ夫を取り巻く環境が変わっていきました。
私は息も絶え絶えになりながら、なんとか毎日を凌いでいました。
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ありがたいことに、実のところ、辛かった記憶は薄れてしまっています。
今こうして書いているのは、当時の日記があるからです。
読み返すと、当時の記憶が生々しく蘇ってきて、胸が塞がりそうになるのですが..。
どんなに辛くて、もうダメだと思っても、それを日記に書いてしまうと、ほんの少しだけ楽になっていました。
ただひたすら、あったことをそのまま書き連ねて行くことが、危うい心のバランスをとってくれているようでした。
人に見せるつもりで書いたのではないので、恥ずかしいですが、一日分だけ公開しようと思います。
自分用なので、わかりにくいところがあるかもしれません。
110427 起きてみると、廊下に大便の固まりが、点々と続いていた
玄関に小便をした跡があった
2階にいたので、呼んで、その大便を見せた
自分でやった認識はないみたいだった
クィックルで掴んでは便器までもっていって捨てた
洗面所と便器のマットにはべったりとついていた
そこもできるだけ拭き取った
後はどうしようもないので、そのまま洗濯機に放り込んだ
スリッパを片方履いていて、裏を見たら便がこびりついていた
裸足の足の方はくるぶしまでついていた
浴室でズボンを脱がせようとしたが、どうしてもダメ
足だけは洗わせた なかなかとれなかった
ズボンの後ろに便が少量ついている
パンツからしみ出ているのかもしれない
もう私の限界を超えているのかな..
今も汚いズボンのまま歩き回っている
どうしたらいいんだろう..もうダメだ..精神病院に入れるかな..
ズボンを脱がせようとすると、憎々しげな目で私を睨む
これ以上やろうとするとまた暴力に繋がるのはわかっている
そばに来ると臭い こっちの気が狂いそうだ
一階の廊下と洗面所を、蒸気クリーナーで掃除した
力を入れると、脇腹がズキっと痛む
屈んでも痛いし、何しても痛い
食事をしていないけど、この大便臭のまま食事するのか..
作る気にもなれない
メロンパンが一個冷凍であったので、暖めて食べさせた
私は食べる気にならない
薬も飲ませなかった
どのみち拒否だろうし、飲ませようとする気力がなかった
お風呂に入りましょう作戦で、相当頑張ったが、結局ダメ
私一人で入った
一人で体を洗っていたら、そばにきて肩を揉んでくれた
垢すりを渡すと背中を流してくれた
でも結局、服を脱がすことはできなかった
大便のついたズボンのまま歩き回っている
私のソファのクッションの上に座った
臭いを嗅いでみたら大便臭がした やっぱりしみ出ている
またこのままベッドに入るのだろうか..身震いがする
精神病院に電話してみた 認知症対応ではないとのこと
でも話は聞いてくれた
外来で行って、相談してみるしかないかな..
電話をしていた時、下に行って排尿の音がした
行ってみると、浴室のドアめがけて小便をしていた
浴室用のマットはぐしょ濡れだった
溝に入ってしまって、掃除のしようがない
内側からはシャワーをかけた ドアは紙で拭うしかできなかった
ズボンは脱いであった パンツは便付きのまま
脱がせようとしたら、うるさい!!と怒鳴りだした
そのままベッドに入っている もうシーツからなにから、便だらけだろう
私にどうしろというのだ!!!私はそんなに悪いことをしてきたのか!?
これは天罰なのか?あんまりだ...
食堂のベンチの上に、防水マットを敷いてその上に座らせ、夕食を食べた
グラマリールとエビクサは飲ませた
一階で音がするので行ってみると、パンツを半分降ろして大便をしていた
朝、排便があったから、便座を上げておいたのだが、そのまま跨がっていた
便座を下げて座らせて、汚れたパンツを脱がせ、ウォッシュレットで洗った
紙を渡したが拭けなかった
じゃ、ついでにシャワーをあびちゃおうと言って浴室に誘ったらついてきた
下半身にシャワーをかけて石けんで洗おうとしたが、すぐ不穏な状態になった
浴室のドアを閉め切ると、暑かったのか、上も脱いだ
お湯をかけると怒る
もうこのまま入ってと浴槽に入るのを奨めたら素直に入った
浴槽に入っている間に、急に怒り出して、バカヤロウと叫びながら上がってきた
私の腕をつかみねじり上げ、体をドン!っと押した
洗面台脇の引き出しに思い切りぶつけられた
これはもうダメだと思い、二階に駆け上がり受話器を持った
二階まで追いかけてきたので、下へ逃げ外に出た
幸い虫の知らせで、カギはかけていなかった
しばらく経って覗いてみるとベッドに素っ裸で寝ていた
私を見つけると牙を剥きだし、コノヤロウと叫びながら走ってきた
また外に出てドアを閉めた
またしばらくして開けてみると、外履きのビーサンがない
玄関のたたき、廊下に小便をしていた
ビーサンを片方履いたまままた飛び出してきて威嚇した
なんでお風呂にいれてきれいにしてあげただけなのに、怒るの?殴るの?と聞いた
ら、しばらく不思議そうな顔をしていた
そこ掃除させてねと言ったら、うんというので、掃除した
掃除洗濯が一段落して(もう蒸気クリーナーをかける元気はない)、風邪引くからと
言って、Tシャツを着せた
リハビリパンツを履かせようとしたが、これはダメだった
普通のパンツを出して渡したら自分で履いた
こういった日々が、いつ果てるともなく延々と続いていました。
5月中旬にグラマリールを50mgに増やしました。
5月末には、体が前屈みになり、少し傾いてきました。
時々、ふらつくこともありました。
グラマリールのせいなのかもと思いました。
それでも私は、それを止めることも、減らすこともしませんでした。
できなかったのです。
それほどまで、私は追い詰められていました。
若年性認知症は体力があり、暴れた場合収拾がつかないので、普通の施設では受け入れてくれません。
この苦境から逃げようとすれば、精神病院の選択肢しかありませんでした。
毎日、心が揺れ動きました。
もう限界だ..やっぱり入れようと思っても、心細そうな様子をしている夫を見ると、いやいや..ダメだ、到底私は、入れることはできないと思ってしまうのでした。
友人のご主人が、同じ病気で、精神病院に入っていましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
それも大きく私の心にのしかかっていました。
ケアマネさんを変えたいと思って、包括センターに相談しました。
紹介されてきたケアマネさんには、もう在宅で介護ができる時期を過ぎているから、一日も早く病院へ入れた方がいいですよと言われ、自分のところではケアマネを引き受けられませんと、断られました。
そうした中、ほんとに救われたのは、お泊まりデイでした。
110番をした翌週から、2泊3日で預かってくれました。
今にして思うと、よくあの状態で預かって下さったかと思います。
最初の泊まりの日に、夜電話をして様子を聞きました。
一日穏やかに過ごしていたらしく、お風呂にも入ったそうでした。
既にベッドに入っているらしく、何も問題ないですよと言われました。
うちは夜中に帰すような事はしませんから、安心してお休みくださいとも言われました。
涙が出るほどありがたかったと同時に、ああ、またケアマネさんが余計な事を言ったのだなと思い当たりました。
おそらく、最初のお泊まりデイでのいきさつを言ったのだろうと思いました。
このケアマネさんは、一言余計だし、介護関係の人達に対して、とても高圧的な態度をとっていました。
私のハンコがないと、お金がでないのですからと、二言目には言っていました。
思い起こせば、私が内視鏡検査入院するときのショートステイが、なかなか決まりませんでした。
いい返事が来ないんですよねぇと、ケアマネさんは言うばかりでした。
日にちは迫ってくるし、業を煮やして、私は直接ショートステイ先に電話して聞いてみました。
そうしたら、なんのことはない、お待ちしてますので、契約にいらしてくださいとの返事でした..。
とにかくケアマネさんを早急に変えないと、折角預かってくれているお泊まりデイでも、なにかトラブルを起こすかもしれないと思いました。
もう私は、このお泊まりデイがなければやっていけませんでした。
もともとこのケアマネさんは、主治医が紹介してくれた事業所の人でした。
主治医が、また別の事業所を紹介してくれました。
そこから来てくれたのが、今もお世話になっているケアマネさんです。
新しいケアマネさんは、ほんとに親身になって、助けてくれました。
話を聞いてくれて、プロらしいアドバイスをしてくれました。
いろいろな情報も持っていました。
市で、紙パンツおむつの補助をしてくれているというのも、教えてもらいました。
徘徊する人のためにネットワークができているのも知りました。
このケアマネさんと、お泊まりデイのおかげで、ほんの少し息を継ぐことができました。
一方、初期から通っていた、水中体操ができるデイには、ついに断られてしまいました。
夫が病気になって、介護認定を受け、デイサービスを使えるようになったとき、いくつかの施設を二人で見学に行きました。
どの施設も、利用者さん達は、親の年代の人達でした。
まだ症状も進んでいない頃でしたので、夫はあまりにも場違いな感じでした。
その中で、ここは、水中体操がメインだけど、終わった後泳がせてくれるということでした。
同年代の方もわずかながらいらっしゃいました。
無理にデイサービスを利用する必要もなかったのですが、一日中家の中で無為に過ごしているのを見ると、やっぱり外に行って、刺激を受けた方がいいのではないだろうかと思って、探した所でした。
病気が進んで、不穏な状況がでてくるようになってからも、よく面倒をみて下さいました。
そのデイの最後の日、連絡メモには、「お風呂には入れませんでした。お着替えだけをしています。すみません」という記載がありました。
持って帰った荷物はビニールに入っていて、洗ってあるようでした。
おそらく失禁して、着替えだけをしてくれたのでしょう。
あえて失禁しましたとは書いていなかったことに、スタッフの優しさを感じました。
爪もきれいに切ってもらっていました。
本当に長いことお世話になりました。
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私は息も絶え絶えになりながら、なんとか毎日を凌いでいました。
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