祝サザン35周年【サザンマニアpart3】 | SORA~空模様は心模様~桑田さんに二度ぼれ

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明日6月25日、サザンがデビュー35周年を迎えます。

昨日は、茅ヶ崎のサザンビーチで、ファンが企画したイベントが行われて、今朝は「目覚ましテレビ」でもその模様が取り上げられていました!
(明日もサザンの曲について取り上げるみたいラブラブ

私も、サザン、桑田さんファンのハシクレとして、お祝いの気持ちを込めて、

今日は久々に、サザンネタです。


5月14、16日にご紹介した、1979年2月25日に出版された、「サザンコミック・勝手にシンドブック」の中の一部を取り上げます。


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桑田さんコーナー



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まさに、デビュー当時です


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記事の内容は……

なかなか ちょっと アップしづらい内容となっていますがww


今回は、比較的セーフな、このページをご紹介します


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「誰れも書かなかった
桑田佳祐の素顔」

注※『週刊平然』なだけに、わざと週刊誌風な見出しになっています。ここから、ひらがなを一部漢字に変えた以外は、全て原文のままです。




「もうそろそろ、2作目のアルバムのレコーディングに入るんです。それで、だんだんと精神的にも充実してきました。少しだけどね(笑)」と語る 桑田佳祐君。

次第にプロらしい面構え、リーダーとしての風格がつきはじめた彼が、今の心境や、音楽、そして自分の生活のこと、家族のことなど、今まで人に語らなかった部分まで語ってくれた。




「小さいころはね、ドラマーに憧れて、家の玄関のあがり口に、椅子と台とを持ち出して、音のでるお皿や空き缶を並べて、きっとおはしか何かでしょうが、それで、チンチンカンカンたたいてたんです。こういうことって人によっては、隠れてやる人もいるでしょうけど、僕はかくれてやるの嫌いだから、家の中でも一番目立つところでやってたわけです。そんな毎日でしたね。ガキの頃は。」




「青学に入ったのは、全く偶然でして、高校の先生は、青学は難しいだろうと言ってたんです。でも、もしかしたらと思って、経営学部受けたら合格しまして、青学って、英文科なんかは女の子がガバーッているんだけど、うちの学部は、まばらでして、音楽やり出してから、いよいよごぶさたしてます」




――卒業の見込みは?





「授業はともかく試験には出ようとしてるんですが(笑)、そうじゃないと進級していかないし、3年以上同じ学年でいると除籍になってしまうんで、大変ですよ(笑)。卒業したいという強い希望はないんですが、学生をやめたくない気持ちの方が強いですね。学生であり続けることって、やっぱり僕にとっても、みんなにとっても重要なことなんじゃないかな」



――本なんかよく読むの?




「読もうにも時間がないのが真実で、せいぜい移動のときに漫画をめくる程度です。漫画はチャンピオンが一番おもしろいね。『750ライダー』とか『夕日が丘の総理大臣』とか好きですね。僕、漫画描くの結構得意でね、小学生の頃は漫画家になろうと思ってたときもあるんです。手塚漫画にはとても強い影響を受けてますよ」





――漫画家の他になりたかったものは?




「プロ野球の選手になりたかったですね。野球もうまくて、ピッチャーやってたんです。今ですか?投げられるけど、コントロールが悪いでしょうね(笑)。それと、プロボウラーも一時あこがれてね。とにかくサラリーマンになろうとは思ったことがなく、いつもハデめ、ハデめに職業を考えてました」




【トンでる姉さんに大影響を受けた】



4つちがいの姉がいるんです。この人がトンでてね、今は結婚して、もう6年ごしでアメリカへ行ってしまってるんだけど、変な姉貴というか、わけのわからない人でして(笑)、僕が学校から帰って来ると、インド音楽聴きながら、お香をたいているわけ(笑)、瞑想なんかしちゃってね。そんな姉だから、ビートルズなんか新しいのが出ると、すぐに僕に聴かせたり、色々レコード仕入れては、中学生の僕に聴かせてくれたりしました」




――桑田君は、サーファーにはならなかったの?




「姉貴のダンナが、もともとサーファーだったんです。だから家へ来る男友だちもサーファー、近所の連中もサーファーやってて、僕はそのころは、もっぱら野球と音楽に夢中で、俺ひとりくらいやんなくてもいいやって気分でサーファーには、ならなかったんですよ。それに、バランス型の競技って、僕だめなんです。下半身だけとか、右半身のスポーツ、投げたり、走ったりは得意だけど、スキーとかスケート、サーフィンといったものはダメなんです。おかしなものですね」





――お姉さんがいるアメリカへは?





「行きたいんですけど、話が合うかどうかわかんないから、きっと単独行動でしょうね。それに、今姉貴は、ハワイのなんとかって島に居るらしくて、この前、我々がハワイへ行ったときは、全くそれを知らなくて、帰って来たところへ手紙が来たんです。
『今ハワイに居ます』(笑)ってね。姉は学生時代はいつも主席で、僕はビリから2、3番目。随分差があったし、姉はトビすぎて、今やすっかりアメリカ人みたいだし、僕はノーマルできわめて日本人的だから、きっともう、ついていけないでしょうね(笑)」


☆☆今日はここで終わらせていただきます☆☆


当時の桑田さんを知っている方は懐かしく、また、知らなかった方には、意外な一面を知ってもらえたら幸いです(この内容全てが、本当なのか、ちょっと面白く書いたのかは、わかりませんがねw)

さて、夜遊びでは、桑田さんが、重大発表?を、先週からうまくはぐらかして、次週へ持ち越されてしまった…

寛大なファンのみなさんたち…


はやく重大発表内容を知りたい私でした。。