気を抜いていたのか、マスクをしないことが多くなって、やってしまいました。

すでに10日間の風邪状態。苦しくて、何年ぶりの風邪です。

咳と痰が続き頭痛に、38度の熱に慌てだし。普段は35度台と低いので。

4時半に近くの病院に連絡するも、受付終わりました。明日8時半からです。との事務的なお答え。

どこか決心を決めて、風呂にも入らず布団を引き、解熱剤を飲み、両親が私のために買ってくれた水枕を用意する。

時計、タオル、温度計、体温計布団の周りに七つ道具さながらを用意する。

夜中のせきにあえぎながらも、朝熱は36度台に下がる。

 

2年前に市の肺がん検診で、要検査のお手紙を頂き、かかり付け病院に行きCTを撮り、ここは専門の医師がいないからと、国立病院呼吸器内科の専門病院を紹介される。

この時も、紹介先の病院に、撮ったCTのデータを借りてきてくれと言われ、貸せないのすったもんだとのせめぎあいの中で、ようやく国立病院の呼吸内科の診断を受け、「気管支拡張症」という診断名を頂くことに。

それから7か月にわたり、レントゲン検査を続ける日々が続き、特に体の状態も平常なので、この検査とやらはいつまで続けるのか疑問になり、「検査はいつまで続けるのですか」と尋ねると医師は「ずっと」と答えるだけ。

初めての診察日のCDと7か月目のCDを見ると、白い影が変化していた様に見えたので、「ここは細くなっていますね」というと「一緒」と医師の言葉が返ってきた。

この医師とずっと付き合うのはやめよう。と思い、市の検査に戻ります。と伝えて、診察を終了してもらった。

 

「また、引っかかるよ。その時は予約なしで見ます」と医師の言葉に「ありがとうございます」という。

 

今年の2月に新しい個人病院を見つけ、信頼できる医師に出会えたと思い肺がん検査を受けたばかりだったけれど、今回は、38度の熱の状態で、バスに乗りいける状態ではなかったので、自宅から徒歩7分の病院に行くことにした。

初めての内科の医師は信頼できそうな男性だった。

やはり近くがいい。ここにしよう。

そして診察をして、薬を頂き、今、中間点までたどり着いた。

 

声がガラガラの時に、兄の安否確認の電話が入り、ガラガラの声に驚き、「行くか」の言葉。

いやいや今来ると、うつるからダメ。と断り、兄の話を聞く。

糖尿病の数値が高くなって、薬を飲むように指示されたことをかなり拒んでいる。

母が長年患っていた病気でもあり、高血圧と糖尿病は認知症のリスクが高いといわれる。

母もアルツハイマーでした。あの病気はほんとに悲しい。辛い。

それにおびえる兄の気持ちを聞きつつ。せき込む私。

 

「俺の事より、大丈夫か」

去年の夏に家電が壊れ、信頼していた人からひどい仕打ちを受けたことが心に染みを作り消えないままでいる。

その染みに立ち向かいながら、一人で頑張ってきた時間が、兄の声を聴くと、くじけて弱音を吐く。

弱音のオンパレード。

言わせて。

 

そんな中、新品のエアコンの室外機が稼働しない。そんなアクシデントにおののき、眠れない一夜を過ごし本日復活。何が起こったのやら。

明日は、再び病院へ。薬の追加に参ります。