ドラマ「Dr.コトー」の中に出てくる病院の屋上にたなびく旗。診療所の目印です。
あの旗のように、私の心の中にある風見鶏に初夏の風らしきものを感じます。
これから気温が上がりそうです。今年の夏も暑くなりそうで、負けないでいられるようにと思うばかり。
去年からお風呂の湯船のふたを買い替えようとずっと思っていましたが、やっと先日、少し遠い生活用品のそろったスーパーに行き購入しました。近くのビックカメラかヨドバシに行くつもりでしたが、なぜか予感がして、電話で商品の確認をしたらビンゴ。
ネット注文でしか取り扱っていないとの返事です。
予感がさえわたりました。
以前母が入所していた施設の近くにあるスーパーに連絡すると、「あります」とのこと。なんか、たかが風呂のふたごときで、やけにたどり着いた気持ちになりました。
母が亡くなってから9年、通い詰めた場所に行くのがどこか足が重くて。
いろんなことを思い出すから、でも、行こう。
なんか気持ちが落ち着かずに、商品を買い郵送してもらうために、住所を書いたメモを持ち、店員さんに書いてもらうつもりでいました。
しかし私の動揺は見事に感じてもらえず、自分で書くように言われ、何とか緊張で震える文字を書く始末。
なんでこんなことになったんだろう。
人に会う仕事をしてきたのに、人前で文字を書くことができないときがあります。
緊張の電流みたいなものが体を流れる感じ出す。なんかものすごく情けないけれど、そんなときは自分に「大丈夫」と言い聞かせて戦います。
でも、だいぶ状態は良くなってきました。
戦わなくて済むリラックスしている時もあります。
なんかやるしかない。こんなことでどうする。そんな気持ちを自分に向け続けて、ペンを持つと何とかなります。
要するに気持ちの問題です。
一人で抱え込んだいろんなものがたまりすぎて、人と対峙するときに出てしまう症状だと思います。
とりあえず購入して、送っていただくことになりました。
これで、一つ区切りがついた。富士山の7合目まで来た感じです。
水漏れの配管工事が終わり、20年越しの風呂のふたを新品に変え、このふたを父と買ったことは覚えていても、いつだったかは定かでなくて、あの頃は母が家にいたかも定かでない。
私は父が36歳の時、母が34歳の時の子供です。そして兄は7歳上。この数字を軸にして、そのころの家族の年齢を割り出して考えることがあります。
年齢の時系列で出来事の記憶を探ります。
新品のふたがついたら、古いふたと古い布団を市のごみとして処分。不要の座布団を処分して、戸棚の整理。
庭の草取り、新しい花を2鉢購入。
やることが次々に消えていく達成感。
手元に抱えた本を読むのに没頭している。
プラス書棚にある本を読みたくなって読み出す。今この本が必要と直感が進めてくる。
5月に発表だった公募の連絡は、来なかったことにショックというよりも、あの作品が書けたことに良かったと思える自分がいたと思えて、次の作品を書こうと進められることに「頑張れ」と。
どんな時もリラックス、楽にできる自分でいられれば、大丈夫。
そんな風が、風見鶏を揺らしているみたいです。