今日は冬みたいに寒いです。

桜の開花に春を想えど、毎年のように、日本の四季の変化に戸惑うことが多いここ数年。

去年から続いている我が家の家電の取り換えや洗面所の修理やら、とどまるところがないことを、やっと受け止めようと思えてきました。

築○○年という歳月に持ちこたえられない現実に目を向けだした感じです。

 

今までは、いつかこの家を出ていく、別の場所に行く、近所も空き家があったり、新築ができたり変化が多くて、我が家のもいつか新築の家のために日が当たらない状況になる。そんなことばかりを考えていたけれど。

ここはひとつ逃げるしかない。そんな思考が頭の中を占めていたけれど。

どこかでほかの場所行きたいという気持ちもあって。

その気持ちは今も変わらずあると思う。それもそれでいいと思うし、人生はどうなるかわからないし。

でも、人が住処を変えることは結構な勇気と行動力、資金が必要なんだろうと思います。

 

逃げてしまう。そんな考えにストップがかかったのは、「もう、あちこち限界なんですけど」という家からのサインのような知らせなのかと思えたからです。

「頑張ってきました、あなたの人生と同じように、だから大切に考えてください。あなたの両親が残されたお家です」そんな言葉が聞こえてきたように思います。

 

不具合を直せばいいことだけど、家のことはそう簡単でもない現実に、一人で考えて答えを出すより、ここは兄に相談。

来月、花見に行こうかと私がいった言葉に、期待していたらしく、電話をかけるや否や「来るか」の一声。

いや、実はめまいが始まり、お断りの連絡をしたものの相談の話に移り、頼って良かったと思えた瞬間、花見を楽しみにしていたんだと知り、めまいの薬を飲んで体調を整えて会いに行くか。そんな気持ちになりました。あの弾んだ声久しぶりに聞いたな。

 

兄の話を聞くたびに、何やら対応の悪い行政や、会社などと「喧嘩した」という内容は、おおむね兄の言うことは正論だと思えることばかり、「大変なんだね」と兄の頑張りを垣間見てきました。

図らずも「いうことは言う」という態度は、兄妹の共通している部分で親譲り。

 

これからは、二人で相談しながら守るものを守っていくしかないな。

そんな気持ちに切り替わったあさイチの電話でした。