3月の第二土曜日、今年初めて兄からの着信音が鳴りました。
「珍しい」と思いながら、「ああ、そうか」と納得。
3月から11月までの週2日間、兄嫁のバイトがスタートします。
つまり妻のいないときに私に電話をしてくる兄、そして、私も同じく、兄と二人だけで話せるときに電話をします。
聞かれて困る話ではなくても、やっぱり気持ちが楽に話せます。
「元気か」で始まる兄の話は、亡き母の夢を見るとのこと。
「母ちゃんが呼んでるんだなぁ」と兄。
「そうだねぇ」と私。追い打ちをかけるように「お墓参りに行かないからだよ」と攻めたりして。
兄は自分で「呼んでいる」と言っておきながら、私に肯定されると、「フフッ」と苦笑いをしつつ、そこは否定してくれという空気が伝わります。
兄のいる公団住宅には、兄より高齢の一人暮らしの人やご夫婦が多くいるらしく、病院には行ったきり帰らなくなる人や、骨折して入院や退院を繰り返して、病院の対応がひどいと兄に話をする人たちに囲まれているみたいです。
見た目愛想がいいので、人の話をよく聞く人だと思います。
不思議ですね。自分の両親の話や、世話を一切してこなかった人が、今はご近所の高齢の方たちの話し相手になっているなんて。
なんか、やってこれなかったことを、今になって、やらされているみたいで。神様から、亡き両親から。
そんな話を聞く兄が、「ひどいよな」と私に話す。
「もう、自分が病気になったら、自分の意志を誰かに伝えておいた方がいいよ。病院にされるがままだと、大変なことになるかもしれないよ」と私が話すと、兄はうずくまるように言葉が出ませんでした。
年を取ることは大変なことがついてくる。自分がどうしたいのかを言える場合は、尊重してもらえるように物事を進めてほしいと思う気持ちが私にはあります。
現実はそう簡単なことではなく、あれよあれよという間に物事が進んでいくものです。
たとえ家族がそばにいてもだと思います。
そんな兄の身近な高齢者に寄り添いながら、母の夢を見ることへの戸惑いのような気持ち、「何を伝えに来ているのか」と考えても答えが出ないものだと思います。
「来月この辺りは桜がきれいで、お祭りをやるんだよ」と兄。
「いつやるの」と私。
「4月6日、バーベキューとかやって、賑やかだよ」と兄。
以前、兄嫁が桜の季節に遊びに来てくださいと言っていた。
「行ってみようかな」と私。
「来いよ。駅まで迎えに行くから、帰りも送るよ」と兄。
「考えておく」と私。
いろいろな事があって、まだまだこの先何が起こるかわからない中でも、とりあえず桜を観に兄の家を訪ねようと思うのです。
ピンクの桜に酔いしれて、残された家族のなごみの時を味わってこようと。