もう、築40年の我が家は、家電の取り換えが止まらない。人も40年たつと、あちこち故障が出ますものね。

仕方ないけれど、そんなに続くもの。と嘆き節が出てきてしまう。

去年の夏にエアコンと冷蔵庫と扇風機と玄関の電球。総入れ替えしたのに、またもやこたつが温まらない。

購入してから20年。20年前の状況が思い浮かばない。そのころ母は父は、どんな状態だったか逆算して風景を思い出すと、うっすらと見えてくる。

もう20年もたつのこのこたつ。途中で母が認知症が進んでいて、春先だったので良かったけれど、テーブル代わりに出したままのこたつのコードをはさみで切ってしまい、まさかこんなことするの。と驚愕の現実を父と受け入れ、電気屋さんでコードを注文したことを覚えている。

施設に入所する1年前くらいに、17年くらい続けていた母と二人の善光寺参りや伊豆や伊香保などの旅行、どうしても善光寺に行く。と母に言われて医師の許可を取り最後の二人旅をした。

母はホントに楽しそうだった。あれが最後だった。「私は頑張ったよ。あなたとの二人旅」今はそう伝えたい。

母は父に、父から買ってもらった時計を私に挙げるんだ。と言っていたそうだ。確かに頂き今も大切に使わせていただいてます。

 

もう少しで寒波も越えられる。3月になれば春。こたつの買い替えは今年の冬にして、今年はガスコンロを変えないと。これも19年目に突入。

そして50年以上前に我が家にあったこたつがある。昭和の品物なので昭和の家電の展示室みたいなところに飾ってあるような品物。怖くて使えないけれど使えると思うので、これで何とか寒さをしのいで、あとはエアコンの暖房を入れて、ラストを乗り越えよう。

 

家電や家のパーツたちの「僕らはもう疲れました」そんな敗北宣言のような声が次々に届いているようで、「しょうがないよね。

ありがとう」そんな気持ちの毎日をこれからも続けるような予感がしています。

 

昭和の家電は持ちがいい。というのも確かにあります。今の家電の寿命は短いように思います。買い替えが基本で、修理して使うことは少ないのでは。あとは30年クラスの洗濯機が「僕もそろそろです」とただいま頑張ってくれています。