美味しいみかん教えて!キンカン、温州ミカン、グレープフルーツ、ポンカン

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あなたもスタンプをGETしよう今年はみかんもイチゴもお高いようです。寒くなるとミカンを一箱、父が買っていました。父はそんなに食べないのに、私と母のために買いに行きます。一箱買うと、どうしても中には熟れているものもあります。当たりはずれみたいなものです。

父は家族に食べさせるための買い物が好きでした。自分が食べたいものは消して買うことはなくて、父の好物は、母と私が買ってきます。その時のうれしそうな顔は、今でも覚えています。

父の好物はお赤飯、ウナギ、ちらし寿司、お煎餅でした。両親はよくケンカをしていましたけど、母は父の好物をよく買いに出かけていました。

家族を繋いでいたものの一つは食べるものだったように思います。

 

ある時、父が小さなキンカンの苗木を買ってきて、玄関の傍に植えました。何年も成長が遅くて、実がなりませんでした。

「僕が生きているうちに身がなるのかな」と父は言いました。

父が生きているうちに、キンカンは成長して、実をつけていたと思います。でも父がキンカンの実を食べていた姿は記憶にありません。父が天国に行って12年が過ぎました。

あれから何度も大きく成長したキンカンの実を私は毎年、頂いています。

 

一人になってから、家族で暮らしていたころ、みんなで食べていた物を食べる習慣はなくなりました。

いろんなものを食べなくなったな。と思います。

思い返せば、いろいろな事があった家族の生活。また、父と母の子供として生まれても、同じ道を歩いてくるのだろうと思います。

後悔も、うれしさもすべて含めて、変えられなかった道を歩くのだろうと。

過去に戻って、反省点を変えて生きなおせることは、出来ないんじゃあないかと思います。SFの小説の中では描けるかもしれないけれど。なんとなく、歩んできたことには意味があるように今は感じます。

やはり、寂しいです。親がいない暮らしは、濃すぎる家族だったから。

 

今年はみかんもイチゴも買って食べよう。

食べていたものを食べなくなって、また少しずつ食べだすことで、小さな積み木を積み上げて、懐かしい形を取り戻す感じがします。