ホントに書けなかった。苦しくて。

8月1日に冷蔵庫が壊れた。使用期間約22年。その二日後にエアコンが壊れる。使用期間31年。先に壊れていた扇風機を含めて、すべてを初めての電気屋さんに注文する。

素早く対応してくれた電気屋さんに感謝。

 

半端ない暑さの中で、これらの電化製品がない状態で7日間を過ごす生活は、いつ倒れても不思議ではないほどきつかった。

 

この7日間、近所の古い友人を頼り、指示を仰ぎ毎日のようにエアコンのある家に数時間、お邪魔して倒れていた。5月から続いためまいの不調が収まらずに、熱中症の症状と食材の維持と、買い物に行けない状況を何とか過ごしてきた。

 

エアコンを取り付けた最後の日は、やはり作業をしてくれている電気屋さんたちの前で、倒れて休んでいた私。

やっと全てが整う頃の数日前から、友人の態度が荒く、険しい言葉や態度に変化してきた。

その変化に気づいても、体の不調が追い付かない。

そして九州の地震が起こり、友人のいら立ちは鋭い刃の言葉となり私に向けられた。

 

それは絶縁宣言のような言葉だ。早朝6時56分に長文で届いた。

 

寂しいとかでなく、ただただ、受け入れがたい一方的な宣言を、どうしようもないほどのいたたまれない気持ちの渦が、心の中をいつまでも居座っていた。

 

対処ができないままでいた。

 

今は、少しずつこれでよかった。お互いに近づきすぎた。離れる時だった。お互いに我慢をしていた。もうその我慢はしなくていい。

良い方向へ向いている。もう無理して付き合わなくていいんだ。

この数年間、閉じこもりがちになり、話す相手は限られていた。話過ぎてしまう私の悪い癖が、「頼る」ということになってしまっていたのかもしれない。それが友人には重荷だったのかもしれない。この「頼る」はお互い様だったのだが、その関係が長く続きすぎた。

 

いろいろ考察する気持ちをやめて、ここで占いを出すのは、それ、と思えるかもしれないけれど、当たらずとも遠からず。今年は、幼馴染と離れると書いてあったのに、これか、とうなずけた。これでいいんだ。あんなに渦巻いた気持ちが、「離れられるんだ」この言葉で楽になってきた。これから気持ちも生活も立て直さないと、一人で生きる。そんな核を心に据えて、ご近所さんと風通し良く生きていかないと。そんな思いでいる。

 

心の渦は、まだ収まらないけれど、めまいと体調の不安定さも少しずつ緩和してきた。ようやく気温が下がり、秋へ向かっている。悪夢の夏から実りの秋へ。