朝ドラ「虎に翼」、ようやく会えました、轟とよねの再会。酒に酔い路上でつぶれる轟を、足でつんつん、よねらしい接し方。「起きろよ」なんて聞こえてきそうです。よねと轟の関係もいいですよね。不器用なところが、タッグを組んで仕事ができそうな感じです。仕事でも夫婦でも、相棒という関係に憧れます。お互いに相手を認め合い、話し合える関係。寄りかかりすぎない、重くない関係。そこには信頼があってこそなんだろうと思います。
日本テレの女性キャスターと男性俳優が電撃的に結婚を発表した時、男性が妻になる人を「相方ができた」といった時も、いい感じだなと思いました。
寅子が結婚すると思っていた花岡が、あろうことに餓死します。寅子は優しい夫と結ばれ可愛い娘を授かりました。しかし、夫は戦地で病死する。その知らせを父が半年も隠していた。生きて会えると思っていたのに。寅子はその事実を隠した父に対して怒ることもできないまま、夫の死に対して泣くこともできないままでしたが、花岡さんが死んだことには、涙を流していました。
悲しみに泣くことができることは良かったです。泣けない苦しさもあると思います。泣けないまま、決して涙が枯れているのではなく、心の隅っこに追いやられて、無理に触れないようにしている悲しみもあるのだと思います。
悲しさを受け入れ、そしてお弁当を食べる寅子の「食べる」そして「生きる」意思表示が伝わった気がします。
食べることは生きる意志。母が記憶をなくす病気で、施設に入所していた時、食べることが好きだった母は、毎食完食していました。手に一口大の柿を握り、カメラに視線を向けて収まっている一枚の写真を見ると、写真を撮られることが好きで、17年余りの私との二人旅で、私は、どれだけの母の写真を撮ったことか。
柿を握った母の姿は、なんだか凛々しくて。私よりずっと強い人だったなと思います。母も父も、亡くなった時からずっとまともに泣けていない私は、この一枚の写真を見ると、目の奥からじわじわしたものが流れてきそうな感じになります。なんとも言えない申し訳なさと一緒に。
一年ぶりに美容院に行きました。とても快活で話好きで、元気な女性の先生です。束ねた髪をほどき、10センチほど切ってくださいと伝えると、「そんなに」といつものように驚きの声。
後ろ髪に白髪が亡くなっている。そんなにないけれど、少しあったのがない。なんかしました。何か食生活を変えたとか。ストレスがないとか。
「ストレス」ありありです。この2か月余り、ピークでした。
「よろしかったらお話しください」
この優し気な言葉に、私の心の中は、滝のように兄との理不尽な会話の一部始終を語りつくすことになりました。そして、父、母、兄、私の家族の関係をさながら講談師のように、台本もないのに、まるで語り部のように話してしまいました。
30分程度で、次の予約の方が到着。私の語り部は終了しました。
髪も気持ちもすっきりして、「話してしまえ」この勢いが心の浄化になりました。
先生ありがとう。