今日は母の命日。海苔巻きとどら焼きを買って仏壇に供えました。海苔巻きは私の夕食になります。

今月の10日に母の七回忌を終えることができて、今日の日を迎えて、穏やかに送れる日だったのに。新聞の占いは、何か不吉な予感。

 

朝ドラ「虎に翼」で、主人公寅子の夫、雄三さんが戦争に行き、病死をしたことを父が半年も隠していたことに怒りをあらわにすることもできずにいた寅子。そんな寅子に母は、亡くなった夫のカメラを売ったお金を寅子に渡し、「大切な人をなくした悲しみと向き合いなさい。心が砕けてしまわないように、このお金でおいしいものを食べてきなさい」と言います。

寅子は一人で戦後の闇市に行き、焼き鳥を食べようとしますが、食べられずお金を置いて立ち去ります。すると店主の女性が焼き鳥を包んで届けてくれます。

寅子は雄三さんと家族には内緒で2人でこっそりと河原でおいしいものを食べた場所に行き、初めてなくじゃくりながら焼き鳥を食べます。

焼き鳥が包んであった新聞紙には、日本国憲法の記事がありました。

 

「心が砕けない前においしいものを食べなさい」やっぱり私たちは、悲しみと向き合うには、おいしいものを食べたり、好きなにおいを感じたり、好きな音楽を聴いたり、好きな人と一緒にいたり、ゆっくり眠ったりすることが一番の薬なんだと思います。

 

母の七回忌に5年ぶりに兄に会い、わずか2時間余りで自分の家に帰っていき、自分の不運をいつものように愚痴りながら、「俺の葬式代頼むな」と何回となく言っていました。その呪縛の言葉が、2週間あまり頭の中をさまよい続けました。

そして結論、「考えることを辞める」に着地。

 

さて、お世話になっている友達が、町内会役員になり、愚痴のようなことを話し出して、聞くほどに理不尽なことばかり、思わず意見のようなことを伝えました。人で不足の作業も付き合いました。でも、彼女の行動は自分の立場の防衛でした。愚痴の話は聞きかなかったことにして他言無用に。との知らせが来て、「なんだかなぁ」と力が抜けていきます。

 

愚痴として聞き、意見も不要なのです。

カール・ロジャースという心理学者の聞き方は、全肯定で、ひたすらクライエント(話す人)の話を聞きます。ただひたすらです。否定はしません。意見もしません。話したいだけ話す中で、自分の心の中の気持ちに気づくことができていくといわれています。

 

私は友達として話を聞いていたので、ロジャースの聞き方ではありませんでした。その結果、もやもやとした後味の悪さをまといました。人との距離感は難しい。どんなに長い付き合いでも、家族でも、夫婦でも同じなんじゃあないかな。

でも、そこには考え方の違いや物事のとらえ方や、感じ方や、行動力やいろいろなことの違いが表に出てくるのだと思います。

「なんで勝手にそんなこと言うのかな」と驚いたことも何度かあります。私にはできないこと。そこは大事です。そんな態度や言葉を使うことは私はしない。それでいいんだ。あなたはあなた。「私は、私、分かり合える範囲でいましょう。」

結局もやもやはここに着地しました。

 

もう長い人生で、3人の友と離れてきたので、そのことの後悔はないものの、また一人増えることにどこか、地雷を踏まないで済むなら、踏まないままでいよう。

うまく離れる。愚痴を話さない、聞かないように心がけようと思いました。

この法則のようなものは、自分を守る手段でもあると思います。

 

そして、べったりにならない関係でいること。

だからおいしいものを食べて、夏のパンツを探したり、夏は新しいサンダル。大好きな俳優・吉岡秀隆さんの映画を観たり、好きなアロマを見つけたり、旅に出たり、本を読んだり、猫の動画を見たり、好きな作家の個展や美術館に行ったり。さまよう道はたくさんあるのです。心を立て直す方法を増やしておくことも大切です。

 

教会のステンドガラスは、色鮮やかな光が自分に注ぎ込まれます。すべてを受け取っていたら、体が自分の色でなくなる。だから離れて、白い自分に戻る。この繰り返しなのかなと思うのです。染まらない白いままの自分でいる。