今年の連休は長くとれる人は10日間だとか。
いよいよ明日からです。
毎日平穏な私も、なぜか気持ち的に何も考えなくてもいいや。連休の間は自分にオフを言い渡せる。そんな気持ちがします。
なぜでしょうね。
何をすることもない毎日、何もできないままの毎日でも、心の中では、いけない。いけない。と攻める気持ちがふつふつと漂っています。
このままではいけない。
自分を煽り立てる気持ちがあるのも確かです。
その奮起する気持ちにこたえられないまま時が過ぎていく毎日に、くしゅんとなる何かをざわざわと感じます。
今月は数日間、嫌な来訪者のせいで、気がめいっていました。そんなとき、同じように、違う理由で気がめいっていた近所の友人から、あさイチで電話がかかり、話し出したら、うちに来て話そう。とのお誘い。
行ってしまいました。びっくり、なんと午前10時から午後2時まで食事もせずに、話続けてしまいました。
なんかくらくらとしてきて、壁に掛けてあった時計を見て、信じられない時間。
「ごめん」こんな時間まで、驚きました。
話過ぎて、頭が疲れて、お腹もすいて、その結果ふらふらしてしまい。しばし椅子に座りなおして、さらに1時間経過。
うわっと、食事抜きで5時間話した自分に、驚きでした。
自分がかつてやってきた仕事の話をしたり、それは彼女にとっては知らない職種の話なので、興味の持てる話ではないと思うけれど、私も20年も30年も前の話をなぜ話したんだろうと、後悔しました。
お互いにいろいろな話をして、あっという間の5時間でした。
とても頑張っていたころの私、よくやってきたよな。と今は思います。
あの頃の自分には戻れない。あの時の仕事はもうできない。そう何度も繰り返して話していた私。
彼女は、「頑張ってきたもの、もうできなくてもいいよ」と言いました。
でも、どこかで、「いや、今でもあなたはやりこなせる仕事だよ」と声が聞こえ。この声の発信元はどこなんだろう。
もう終わらせた時間だ。そう思っている自分に、「そんなこともないさ」と伝えてくれるありがたくもあり、暖かくもある言葉が聞こえていました。
「よく頑張ってきたよな、でも今は無理だよ。気持ちが整わないもの」
「あの頃って精いっぱい走り抜けていただけだろう。勢いで」
「そうだね」
「今は気力が落ちて、楽でいられることに慣れすぎているだけさ、すべて終わってしまったから」
「まだ、いけるかな」
「このままじゃ終われないよ」
「そうだよね」
「そうさ、これからはほんとに望んでいる場所に行くんだよ」
私の中のインナーチャイルドとの会話なのかもしれません。
資格を取得した団体から、退会したことを受理し、登録が除名になるため認定証と認定証カードを返却するように1通の手紙が来ました。
10年間かけて手に入れた証をすべて返すんだ。理解はできるが、なんとも解せない気持ちでむらむらとしました。
即刻返却しました。そこまでしなくても、世間的に通用しない認定証。あなたたちは理解できているのか。大学という冠をつけた場所のやり方に力が抜けていきました。
おかげで、10年の時間も頑張りも資金もすべて、むなしくて。あの時間に私を支えるために必要だったこと。そう思うことにしました。無駄な出会いだったことではないけれど、組織の在り方には物申す。気持ち満々です。
やっと、頭の中が心理学から離れ、小説を読む、書くことへ戻れそうです。
なんともやるせない気持ちが渦巻いているけれど、これでいい。そう思える気持ちで、丘の上から遠くを見ている気がします。
連休は読書三昧の毎日を過ごします。