晴天の土曜日。待望の地元で開催した古本市へ。
コロナの関係で、2年ぶりの開催。今回は、整理券があり、入場制限のシステムでした。場所は地元の生涯学習センターで、ご立派な図書館があります。その入り口付近のエントランスで開かれていました。
土曜日、家族ずれの人たちも子供たちも巻き込み、にぎわっていましたが、待ち時間が長くて、受付の人は「そんなに時間はかかりません」といったものの、約40分は待機。長い。帰りたくなる気持ちをぐっとこらえて、皆さんお待ちでした。
もう、子供からご高齢の人たちまで、「古本市やっていまーす。本が無料で10冊まで差し上げます」こんな夢のようなお声がけされたときには、「行くでしょう」俄然、生きますよ。
でも、待ち時間が長い、子供は飽きるし、図書館でさんざん本を見て、戻ってくる人も多くて、自分の整理番号をひたすら見つめる人だったり。
常連さんは、段ボール持参。家族5人なら子供も赤ちゃんも一人10冊。50冊の本がゲットできる。
連載の小説や漫画なら全館で1冊とみなされる。
これ、やっぱり段ボールいるでしょ。
寄付する本も受け入れてくれます。そして最後に、お気持ちの寄付金を箱に入れます。これは、新しい本を図書館に寄贈するための資金。
一年に一度の開催。
こんなに素敵な本の循環になる活動があるのはうれしいです。
私も3冊の本を寄付して、いざ会場へ。10冊の本をゲットするそんな意気込みはあるものの、持ち帰る重量を考えながら、読みたい本を探す。
新聞で切り抜いていた書評の本を見つけ、うきうき、また見つけ、うきうき、好きな作家の本を見つけにんまり。
迷いながら次に進み、一周回って、あれあれと。そう思っても、もうない。
躊躇した瞬間がまずかった。手放したあの瞬間が運命の分かれ道。
これって、好きな人の手を離すのと同じなのかな。
野菜の詰め放題の戦闘気分とも同じなのかな。
ああ、つかんでおけばよかった。後悔がずしんと押し寄せてきた。とりあえず、6冊の本をありがたくいただいてきました。
うれしくて、気持ちが温かくなりました。久々のうれしい感触を味わえました。
大事に読み進めます。
以前は図書館の本も、古本も苦手でした。でも、少しずつ慣れてきて、書店の新しい本を正規の値段で買うのはいいけれど、古本もいいなと思えるようになりました。
人ごみの中で戦う時間を過ごして、疲れたまま駅へ向かい、バス停に行くと、思わぬ光景に出会います。
山Pのドラマ、新作が公開されそうですけれど。
一人の杖を持ったおばあちゃまが倒れていて、その周りに20代の男女3名が寄り添い、救急車の手配をしていました。私服姿でしたけれど、動きを見ると医療従事者の人たちと分かりました。ドラマさながらの光景に立ち会いました。
行き交う人たちは、何もできなくても見守り彼らに声をかけていました。
私は今年2度同じような場面に出会いました。自分が寄り添う立場でなく、サポートを受ける立場にならないように、気お付けないと。
これはかなり深刻に自分に言い聞かせるような感じです。
「ザ・シークレット」ロンダ・バーン著の本を何十年ぶりに読みだしています。2007年初版の本です。なんで今この本を読んでるのかなと。
全てを「ザ・シークレット」の内容に当てはめるわけではないです。でも、思考や宇宙や、波長や、目に見えないものの存在はあるんだろうし、その力の確かさみたいなものは存在するんだろうな。
でもすべてがその考えだけで私たちの生活が人生が成り立っているとは思いません。
母の7回忌が2年遅れで5月に行うことが決まりました。一区切りつける。いろんなことの立て直しの一つになるような。そんな気持ちです。