あなたの前世は・・・
意外とストライクゾーンに来ました。
私うお座です。
うお座は、人との境界線を難なく超えていくのだとか。
星座の中で一番占いにくい星座だとか。
「地中海の人魚」うれしい。
神秘的というのもうれしい。
歌声に自信ありは、いささか疑問。だから?マークついてるし。
歌を歌うことは、高校生の音楽の時間で止まっています。
声を出して本を読むことや、歌うことはすごく苦手でした。
不得意でした。嫌いでした。
だから鼻歌なんて、無縁です。
でも、母は鼻歌をよく歌い、介護施設に入ったころは、童謡をよく歌っていたみたいです。私は、その時、母がこんなに歌を知っていたことを知りました。
母が若かったころ、農家の自宅には、4人の弟と両親がともに暮らし、長女の母は弟たちの世話をする毎日だったと思います。
広い田畑を所有する家の暮らしは、「ぽつんと一軒家」の場所のように、牛さん、鳥さんはいますが、コンビニも、病院もなく、バスも走っていないようなところでした。母が若かった当時は。
そこで母は、長女として懸命に生きていたんだろうと思います。
10代の後半くらいになるのかな、医師である叔父の家にトラックで荷物を運ぶときに、その荷台に乗り込み、母にとっては都会の叔父の家に逃亡します。
実家に帰ることなく、母は叔父の家で看護師の資格を21歳の時に取得して、叔父の病院に勤めることになります。そこから、戦争から帰ってきた理髪師の修業を積んだ父とどうやってお見合い結婚をして暮らすようになったのか。母は看護師を辞めて、理髪店のを営む父とともに暮らす人生になりました。
一見、仲がよさそうな夫婦でも、決してそうではありません。二人の間に勃発する戦いは兄にも私にも記憶にあります。
子供が生まれて、成長していく過程でも、父母は互いに別れたいと思ったことは何度もあったんだろうな。でも、父も一人になっても、きっと人に騙される人生が待っているだろうし。母は、帰る実家はないだろうし、一人で生きていけるタイプの人でもなかっただろし。
だから仕方がなく私たちは家族という囲いの中にいたのかもしれません。
それとも良き家族だったのかもしれません。
両親と私と兄の関係は、互いに入り組んでいて、めんどくさい、分かりにくい家族でした。その絡み合っていた糸が一つ一つほどけて、お互いの気持ちが見えてきたのは両親が天国に旅立ってからです。
めちゃくちゃボタンの掛け違いが続いて、スクランブル交差点が重なり合い、四重奏が爆音で流れ続けていたような、分かりにくい例えですが、そんな感じです。
でも、この絡み合いの原因は、父母がそれぞれ生きてきた今までの人生の血族の癖も大きく影響しています。だから絡んだ糸は、そう簡単にはほどけません。
母が認知症になって、父と私で見守る毎日の中で、ある晩、切れた父はオオカミの遠吠えのように、「僕はお母ちゃんと一緒になって、いいことなんて一つもなかった」と吠えました。
あの言葉聞きたくなかった。
もう、私の心に刻まれてしまった。
お父ちゃん、お母ちゃんも「お互い様だ」と吠えていたと思うよ。

