あなたの一番大切な人は?
今日はいのちの日なんですね。
命と突然言われても、直球過ぎて、ドキッとします。
それほど命という言葉自体を感じながら毎日を暮らしていないのかもしれないです。
一番大切な人は誰と言われたら、「自分かな」
朝目が覚めて、食事ができて、今日も一日始まると思う時間を迎えられることは幸せなんだと思います。
昨日は誕生日でした。
地元の図書館で作家の中島京子さんの講演会を聞いてきました。
約2時間、さすがに話しなれている作家さんという感じでした。出版社勤務を経て作家になった方だそうです。
作品は読んだことがないのですが、「やさしい猫」の作品がドラマ化した時に見ていました。
作家として小説を書く時の話を少し聞けたことは良かったです。
久しぶりの外出で、2時間の話を聞くことが結構体にしんどくて、眠くなるし、まだ続くのかという感じがゆがめないときもありました。
私の中では、もう少し期待していた話を聞けるかと思ったものだから、期待外れとは言いませんが、なんかその場所にいなければいけないことがきつかったです。
ときどき、なんでここにいるんだろう。
なんでここを歩いているんだろう。そんな頭の中がふらふらと空っぽになるときがあります。この状態は怖いです。
ふらふらと軽いめまいがして、心細くて、たどたどしく歩いている足元が不安になります。だから、今日は気温が低いと思うときは、出かけるお供に傘を持ちます。お守り替わりです。
とりあえず自宅から少し遠い場所まで歩けたので、誕生日のご褒美に、何か食べたいものをと思っても、何が食べられるかなと考えます。
食べることに欲が亡くなったのは、母が病気になり、父とともに母を見ていく暮らしがスタートしたころからだろうと思います。もう、とっくにその暮らしは終わっていても、そこで過ごした時間の残照は、いろんな形で体に残っているものなのかと思います。
5年ほど前、ある仕事場で気の強い感じの女性に「食べることに欲がない」と私が話した時、「そんな人が世の中にいるのガハハハッ」と言われたときは、返す言葉の力を失いました。
世の中にはいろんな人がいる。いろんな今を生きている。
そういったところで、むろん理解できる人ではない相手でした。
いつか食べることに目覚める時が来たら、「そんなこともあったな」と思うだけです。
夕飯は、ご飯は少しあったから、今日は魚がいい。紅鮭の焼いたのを一尾。そしてエクレアを一つ。
ささやかな誕生日のお祝いです。
友達から誕生日のメールが届き、なんかうれしいです。
春になると誕生日がやってくる。また一つ年を取る。
2時間の講演で疲れた私をまざまざと感じて、心も体も怠けることを辞めて、鍛えないと。それが自分の命を守ることなんだ。と思えた一日でした。
春、卒業と始まりの季節です。
