1月も終わりの日曜日、安否確認の兄からの電話が鳴った。
「いま大丈夫」
こんな気遣いができる兄でしたっけ。
「うん。寒いね」
「寒いな。大丈夫か」
「うん」
「寒いね」
私は猫のようにこたつに縮こまり、こんな言葉しか出てこない。
私も兄もすでに若いとは決して言えないお年頃になり、互いにあと何年生きられるかという期限の話をしては、「互いにしっかりしてろよ」という思いが重たいほどある。
「最近70歳代や60歳代の人たちが亡くなっているよね」
そんな話をした私に、兄はゲラゲラと笑い出した。
「俺も母ちゃんに呼ばれているような気がする」
「それは気がするのではなくて、呼んでいるんだよ」
ゲラゲラと笑い出す。
今年は母の7回忌を2年遅れで執り行う。
コロナの日々で延期になっていました。
母より4年前に亡くなった父の7回忌の供養はすでにすんでいて、母には申し訳なく思っている日々が続いていました。
私は父の最後の時は、父を慕っていた甥と兄と私で、最後の一瞬までそばにいて親類も呼んで葬儀をしたのに、母の時は今日危ないといわれていたのに施設の規則で、立ち会うこともできずに、泣きながら家に帰り翌朝に死亡の知らせで、雨の降る中冷たい母に会いに行きました。
母の親類とも私は嫌いで疎遠だったので、知らせることもなく、兄と二人の葬儀でした。兄の嫁とも許せない思いがあり断りました。
あの時私は、いやなものは嫌だ。一人で頑張りすぎてきた日々の重さの最終章に、鎧にひびが入るほど心がかたくなに拒否を続けていたのだと思います。
多分天国に行っているだろう母は、「いい加減にしろ」と激怒しているに違いない。
だからかなぁ。両親が亡くなってから今現在まで、毎年、年間40日以上は、夢に現れます。
父の法要でお世話になった甥の母親が亡くなって、兄とあいさつに行くときのこと。兄と私が会うのはほんとに珍しいことで、そんなタイミングの時に、母の兄弟から電話がかかり、「私の姉が亡くなったそうですね」と尋ねてきた。
間違いなく、これは霊界からの母の差し金だと思い、私は兄に電話に出るように頼むが、兄はかかわりたくないので拒否。
仕方がないので、私は言葉は丁寧だが、今後かかわりたくないことを告げた。
「生きているか死んでいるか分かればいいです」そんな言葉を相手は突き付けてきた。
何度も父母に迷惑をかけてきた母の弟。それでも現存している2人の兄弟や身内には葬儀に来てほしかったんだね。
そんな母の怒りをまともに食らった出来事だった。
兄はあの出来事を今も口にする。
「あの時のお前はきつかった」と私に言う。
人は時には天使にも鬼にもなれるもの。きつい言葉しか言えない私のつらさを兄は知らない。
死んだ人は力を持っている。現世の人間を見ているし、守っているし、もう、そばに来いよ。と迎えに来ることもある。
私はそんな現象をどこかで信じている。
兄は言う。「お前がいなくなったら俺困るよ」
「でもどちらが先に父母のところに行っても、それは仕方ないよ」
「先に行くなよ」
「頑張ってみます」
「頑張ってください」