夏祭り診断のスタンプをゲットしました!
花火のスタンプ届きました。最近この流れが増えています。
母との思い出の花火の話つながりで、思い出します。
花火ってやっぱりいいですね。
お盆のお飾りもかたずけて、今年はお供え物が寂しかったな。お花もなかったし。
今年は母の七回忌なんだけれど、僧侶を自宅に招くことが、コロナの関係で不安でしばし延期になっています。それもあるのに、なんか粗末なお迎えしかできなくてごめんね。
もうお帰りの途中かな。
いや、まだ帰っていない。
父と二人で寄り道の最中だって、まあ、仲良くなれたならそれでいい。私の夢枕によくあらわれるから、天界に道があるなら、途中にいるのかもしれない。
いつでも私と兄を迎えに来れるように、近くにいるのかもしれないな。
毎年、暑中お見舞いの葉書を出す人がいます。
必ず返信をくれる方。かつて学んでいた学校で、一度だけ講義を受けた講師の男性。
どこを切っても金太郎飴。のごとくに、どこから見てもまじめ人間。
だけどそのまじめさに律義さにひかれて、季節の便りを時折続けてきました。
もう10年以上になります。しかし、今でも、ぎこちないやり取りの行き来が変わらない。
寝ころんで空を眺めるような、フランクな空気は漂いません。
お互いに、そのフランクさにはたどり着かないような気がします。
でも、お互いに、この律義さと硬さに信頼感を感じているのではないかと思います。
講師の男性は今年、37年の教員生活を終えました。生徒との思いを伝えた手紙が届きました。ガッキーのビールのCMみたいに、「お疲れ生です」なんてビールで乾杯もできないので、「お疲れ様です」の言葉を贈ることにします。
昔、フリーになって3年目ほどの頃、いつも一緒に取材の仕事をしていたカメラマンの男性がいました。信頼感があり、仕事もきちんとしている人でした。二人でサクサクと仕事を進めるチームワークの良さでした。
一緒にいると楽で、友達感覚の同じ年。
ある日の取材に向かう電車のホームにいる時に、飴を一つカメラマンに差し出すと、袋を切り中の飴を食べて。残った袋を私の手のひらに返します。
その袋を私は受け取りバックにしまう。こんな何気ない光景に、「なんで袋を返すの。自分で捨てて」とちらりと思うのですが、何も言わずにいた私。
そして、カメラマンが一言。
「僕のお母さんに会いに行かない」
「なんで私があなたのお母さんに会うの」と私は即答。
それきり何もなかったように二人は仕事へ向かいました。
あの時ほんとに何も気づかなかった。
30年近くたって友達に話したら、「それはプロポーズだよ」
「まさかやー」
あの時、言葉の意味を受け取っていたら、相手の母親に会いに行っていたら、もちろんその気もないのに、観光目的で会いに行くこともできないですけど。
私の人生は変わっていたのかな。
そもそも、母親に会わせたいというカメラマンの気持ちを微塵も感じない私が会えるわけもない。子育てに翻弄され、カメラマンのサポートをして、義理の両親や兄弟や親類たちにもまれて、味噌みたいに熟成していたのかな。
人生が変わる階段は、そこそこにあったのかもしれない。
でも、今までの人生でOK。
打ち上げ花火、もう一発あげたい。
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