山よりも海派なんだけれど、「暑すぎる」。
今日は朝から雷が怖すぎる。朝ドラを見るのも怖くなる。
そして叫びを続ければ、庭の雑草が生きよい良く伸びている。もう、一メートルは成長している。お向かいの旦那様は、日夜わずかな草でもこまめにとり、ものすごくきれいにしている。
見習いたいけれども、気力がない。
ものすごく卑屈な考えだけど、使用後と使用前ほどの違いを見せつけられているようで、なんか辛い。この気持ち深まると、「当てつけか」と深みにはまる。
自分の庭をきれいにしていることに対して、なんと浅ましい考えなんだろう。
でも、人の行動は、えてしてそんな危険なねたみ心を招くこともあるのかもしれない。
もう少し、暑さが収まったら。
そんな生半可な気持ちが、日々恐ろしいことになっていく。
父が育てた庭の植物。引き続き手入れはしているものの、もう少し変えていきたいという気持ちがうずく。少しづつ私の好みの庭へチェンジするかもしれない。
それにしても父が亡くなる数年前くらいから、父は身辺整理を始めていた。
そんな時、反対側のお向かいの家との間に小さな竹を植えた。竹は成長して、二メートルほどになったころ、私は何度も切ってくれと頼んだ。竹の根が家の床下に根を張ると大変だし、私一人になってから、処分ができないから「お願いします」。
幾度も頼んだが、一切聞き入れず。頑として切らなかった。だけど、たまたま兄が来た時に、竹を切るよう父に言ってほしいと頼むと、兄が父を説得し、あっさりと処分した。
「まさかやー」沖縄の方言。只今朝ドラにはまっています。
父と息子の難しい関係なのに、ずっと共に暮らしてきた私の言葉より、たった一言の兄の言葉に承諾した父。
あまりのあっけなさに、ハトが豆鉄砲を食らう。このたとえはあっているのかな。
父と兄の中のたがいの屈折した気持ちが透けて見えた瞬間でした。
とりあえず、処分してくれて、今でもよかったと思う。
何はなくても長男。あんたが一番。父にとっても、母にとっても。やっぱりあなたが一番だったんだじゃあないかと思います。今はそれでいいと思う。
私、妙に達観してしまっている。
今月、まだまだ暑さが厳しいらしい。無事に超えられたら、草取りと、秋に向けての活動開始の支度をしないと。夏が終わるとあと少し、今年は何かできるかな。
