先月の猛暑から、梅雨の戻りの大雨。

なんかもやーとしています。

今日は兄に電話をして話をしました。

母が亡くなってから月一程度に連絡を取るようになりました。

お互いに二人しかいなくなった家族。兄には妻がいますが。

「お前は苦労してきたんだら」

兄から発せられたこの言葉に、私は「まさかやー」の状態でした。

朝ドラの沖縄の方言に、ただいまはまっています。

兄は私が両親の面倒を独りきりで見てきたことを肯定してくれた。

初めての言葉でした。

人は変わりますね。

ここまで来るのにどれほどの時間かかかったことか。

でもこれから兄と私がどんな関係になっていくのかはわかりません。

兄が一人になって、両親が建てた家で兄と私で暮らすことになると、お互いに初めての暮らしが始まります。

兄妹だから何とかなるさー。さてそれはどうだろう。

二人で生きていくための生活の維持。お互いに年を取る下り坂です。

そのために働けるうちに蓄えておかないと。

働くことを考えても、今まで自分がかかわってきた仕事では、うまく仕事が見つからない。

資格を取得しても、利益になる仕事に繋がらない。

経験を積むために事務所に通い勉強しています。

でも予想外の出費で悩んでしまう。

自分の居場所としては、よい場所なのに。学びもできて、人間関係も良好で。しかし、遠方なので、体力的に通勤がきつい。

すべて良しとはいかない物です。

 

結局、考えあぐねていくと、「なんか何にもできない。私。」そこに着地します。

 

なんか情けなくて、こんなところに着地しているままでは、情けなさ過ぎて、やっぱり何したいのか。何やりたいのか考えていくと、温度が上がってきて、着地からまた歩き出したくなります。

何とかなるさ。

何かできるさと。

 

ここ数年コロナ過でも、自分の外堀の変化は多少感じます。

それだけ私が歩いてきた道は、私にとって、ダメージが大きかったのかなとも思います。

親のお世話に翻弄されていた時期、兄に「自分の人生を考えろ」と言われたことがあります。

でも、あの時は考えられなかった。

両親との暮らしに甘んじていた自分がいます。

その方が、しんどかったけれど、私は仕事をしているより楽だった。常に両親の側にいることが、私にとって安全地帯でした。

仕事の人間関係をうまく乗り切れなかった。渡り歩けなかった。繋げられなかった。結局私の実力のなさと、スキルのなさが致命傷なんだと思います。

それを補うことなく過ごしてきたのが今の現実です。

 

でも、昔書籍の原稿整理をした時に、編集者に、「言葉のバリエーションがある」と言われたこと。

今の相談業務の事務所で「言葉の使い方がうまい」と言われて、そこが私の利点なんだと。改めて感じました。

ならば見捨てないで、やっぱり言葉に関わり続けよう。

そんな気持ちに向かわせてくれるんです。

だから、どこかで誰かに出会い、何かをすることは、無駄なことはないんだと思うんです。

その経験が底辺では、生きているんじゃあないかなと。

私の人格の一枚に積み重ねられているんだろうと思います。

どれほど、うまくいかない。とへこんだ毎日だとしてもです。