今年は母の7回忌です。僧侶に自宅に来ていただき法要を兄と一緒にする予定でしたが、今年は兄嫁さんも参加するらしいことになってしまい、少々気が重くなっていました。

しかしコロナ過なので、母には申し訳ないけど、延期をすることにしようと思っています。

3月のお彼岸は、お墓参りに月末に行くことにして。

父に比べて、母には「すみません」という気持ちが度重なります。

自宅で見てあげられずに施設に入れたこと。

最期の日はそばにいられずに、施設の規則とやらで、帰されて一人にしてしまったこと。

葬儀に母の親類を呼ばずに、兄と二人で行ったこと。

そして、七回忌の延期。

怒っているよなぁー。

明らかに。

 

施設に入所してからの7年間の領収書やもろもろの書類をずっと持っていました。

5年間は持っているように、領収書の類は、そうですけれど。

でも、6年目にして処分しようと決めました。

書類や施設のパンフレットを見ると、なんか、グッと辛くなる気持ちがわいてきて、処分できなかったんです。

母の痕跡が消える。

私が施設に入れた痕跡が消える。

 

そんな後ろめたさを背負って。

 

先日、両親のことでお世話になっていた民生員の女性に会って、「今でも母を施設に入れたことを後悔している。書類が処分できない」と話しました。

 

いろいろ胸の内を話して、踏ん切りがついたように、翌日に処分すると気持ちが動きました。

母の書類も、父の書類も、父のは亡くなる数か月前に、大腿骨骨折の手術をして、90歳で見事に杖なしで帰宅できるまでに回復して、自宅に戻るものの、クリスマスの寒い日に、好物のウナギを快気祝いに平らげて、寒いなかでお風呂に入り、一気に翌日から熱を出して、急遽病院に逆戻り、いろいろあり、整形外科で入院していたのだから、かかりつけの内科に行きなさいと。かかりつけの内科も主治医がいなくて、代理の医師が診察を拒否、それもひどい言葉を投げかけて、その時は、こんな医師がいていいのか。医師免許はく奪したい。と本気で怒りました。そして入院していた病院に来たのに、診察を拒否され、それでも食い下がり見てもらうと、すでに病態は悪化、脈も図れないほどの状態で、肺炎と癌だといわれ緊急入院。

その後、胃癌だといわれ手術をしたものの、2週間で天国へ。

口から食べたい、家に帰りたいといったいたのに。手術は成功したといっていたのに。

一人であたふたしながら、決断をしてきた私、すべてが正しかったのか。ずっと自分を攻め続けていました。

 

結局は、医師の見立て違いだと今でも、私は確信しています。

その後も、緊急入院した時に、日ごろからのかかりつけ病院でのひどい対応に対して、医師会に相談しようと思い続けていました。

それも、まともにやればね長い戦いになると思い、そのまま、気持が消えていきました。ほんとに辛かったです。

 

その思いの書類も含めて、私はずっと処分できずにいました。

 

でも、父も母も、すべの書類を破り捨てて処分しました。

ごみの置き場に運ぶのも重かったです。

 

翌日から、何となく体の一部が軽い感じです。

捨てた。

私の体から、何かが、亡くなった気がします。

処分した夜は、不思議な夢を見て、部屋の入り口にライトの光がずっと強く私を照らしていました。その光が怖くなり思わず、「わーと」と叫びました。

 

母だな。今そう思います。

心の中では何年たっても忘れることはないけれど、離れられることはないけれど、形として残る重荷からは離れる時期があるんじゃあないかなと感じます。