街の明かりまで消されて、公園は立ち入り禁止の状態に。
お家にいましょう。
東京には来ないで。
我慢の連休。
来年の連休はお出かけが出来ますように、頑張りましょう。
なんか縛りの行動規制に、すごい時代になった。と力が抜ける。
今年の私は、過去と向き合う。
最近読書にいそしみだした。
もう最後の会社を辞めてフリーになってから31年たつ。
そのとき、会社の図書室から頂いてきた2冊の本がある。
長い年月読むこともなく、いつかは読みたい本が、日に焼けもせずに書棚に鎮座している。
すっかり自分で購入したと思っていたが、記憶をたどると、確かに前会社の本らしいと、記憶がよみがえってきた。
今はまだその本には手が出せないが同じころ、これは自分で購入した「ユング」の本を読みだした。
並行して、村山由佳著「放蕩記」はもうすぐ完読。これは読みごたえがあった。
最相葉月著「セラピスト」が途中。これは進まない。
この2冊の前に
松木邦裕著「耳の傾け方」を完読。精神科医の松木先生から学んだ。
そして控えるのが
河合隼雄著「こころの最終講義」
頭の切り替えに
山田太一著「夕暮れの時間」
その前に 現代エスプリ 「カウンセリングとスピリチュアリティ」を読みつつ。
最後に控えしは図書室から頂いてきた筏丸けいこ著「いつもお祭り気分」
幇間=太鼓持ちの今は亡き、悠玄亭玉介師匠を追いかけてまとめあげたドキュメンタリーの本。
たぶんこの本を図書室に置いたのは、社長か私の上司だった部長だと思う。唯一会社で気持ちが通じ合う2人だった。
「なんで辞めるんだ。あなたの所は風見鶏の風が吹いてないのに」
納得いかんと辞表を手渡した私に言った一言。さすが編集者。言葉が粋です。
会社の中は、いろんな風見鶏が風に吹かれていたものなぁ。
暮れのボーナス頂いて、即辞表を出した私。立鳥なんとやらで。
辞表を出した直後、影のボスである経理の部長が女子社員4名を連れて昼食に出る。私だけ誘われずに。
泣いたなぁ。声なき涙。なんか情けなくて。昼食誘われないと言うことじゃあなくてね。
まあ、そこそこの堅実な会社でしたから、両親は長く勤めて、会社の株主でもなれば、年金もいいだろうと将来を見越していたらしい。父は職人で自営業、兄も自営業。父の気持ちに添っていたら、今ごろ、でも無理だったろうな。
いろんな観点から見て、父の予測は無理だったろう。
そう、本の話。
何年たっても、読まないままの本でも、読む時期があると思う。
今でしょう。林修先生の名言のように。
やっと時期が来ました。そんな流れの中の読書。
「いつもお祭り気分」の本は、フリーになってから、ずっと私の支えになっていた本。
読んでないのに、変ですが、こんな本を書く。
こうゆう本が好き。
どんなに苦しくても、悩んでも、何やっているんだろう。と考えても、何処かで立ち戻る基本の場所。
私にとっては、それが、あの社長と部長の好きだった感覚の世界を変わらず好きでいるということなんだと思います。
支えてくれるもう一人の自分がいる。そんな感じがするんです。