弥生月の誕生日は、いつになく、ぐっとくる年齢になりました。
ああー。ため息とも言い難い、重い感じの、先行きの明るさ、未来に望む軽やかさより、感じる感覚は、ぐっとくる感じ。
きりの良い年になった感じです。
なんか深い感じです。
3月は、今まで楽しみにしていたドラマが3本が最終回を迎えます。
「天国と地獄」 「朝顔」 「にじいろカルテ」午後9時からの番組、頑張って夜更かしをして起きてみていました。
見ごたえがあって楽しみでした。
どのドラマもセリフが響きます。
朝顔とにじいろカルテの主題曲も好きです。
少し前に終了した大河ドラマの「麒麟が来る」の光秀役の長谷川さんも好きでした。
最終話の中で、光秀に対しての信長の振る舞いに、光秀は、「殿は変わってしまわれた」と言いますが、信長は「わしを変えたのはそなたじゃ」と言います。セリフは正確ではないかもしれません。
この関係に思い至ったことがありました。
30年近く続いた女性友達との関係を終わりにしたいと決めた時期でした。
お互いにいろいろな時期がありましたが、会えば4時間は話し続けた友達でした。
会話の8割は私が話し続けます。
彼女は2割弱、自分のことはほぼ話しません。
自分の家族の話をしたがらない、自分の気持ちを言葉にして伝えたがらない。
メールも用件のみ。手紙も書かない。
「これがああだこうだ、何で支払いがいっぱいで。分かんない」となかば文句の嵐を話すことがあっても、「書類を見てみれば」と言えば、「めんどくさい」の一言で終了。
話を聞こうとすれば、「いろいろあるのよ」で終わります。
しかし、私に対しては、自分が聞いてあげないと。というスタンスで挑むように、聞く体制を続けます。
この聞く体制が続く限り、私はいつしか自分のことをありとあらゆる観点から、相手が理解しなくても、説明を続けてしまいます。
そして、仕事の話や心理の勉強の話は、いくら話しても理解している境地には至りません。
でも、聞きたがる。
「何度聞いてもわかんない」と言われると、別に分かってもらわなくてもいいよ。と思います。
でも、管理者のように「今している仕事って何の仕事」と聞いてきます。
私も馬鹿みたいに素直に丁寧に話してしまいます。
そこで彼女は納得。基本的なところでは自分の考えや、こうあるべきだという考えに私の考えが相いれないことをちょくちょく批判してきます。
そして今度は半年後かな。と楽しげに別れて行きます。
そもそも8対2の会話の比率がおかしいと思い始めたのは、4年くらい前からでした。
自分の気持ちを整理すると、とても不愉快で、何であんな話をしてしまったんだろう。なんであんな言葉を言われるんだろう。なんで同じことを話し続けても理解できないんだろう。
そんな不満や後悔の気持ちにさいなまれ続けた時、「もう終わりにしよう」と結論が出ました。
私も両親との生活で、大変な時期、彼女は気持ちの上で、助けになったと思います。
その延長線上で、何処か関係が変わってきてしまったと感じます。
理解できない仕事の話に対しては、「もっと他の仕事をすればいいのに」と言う彼女の気持ちが見えます。
心理の勉強に対しては、心理学に対して不信感を持っているので理解したくないという気持ちが見えます。
4時間と言う時間を話し続けることの大変さを彼女はわからないと思います。
自分の気持ちを言葉にして伝え続けることは大変な作業です。
それを私は続けることで自分が疲弊してしまったことにやっと気づきました。
自分のことを自分で語る伝えることの大変さ。
ここで、大河の信長と光秀の関係に照らし合わせます。
私が、8割も話すことを続けていないで、5割にして話ができない彼女の何も進まない3時間を空白の時にしておけばよかったんじゃあないかと思います。
無理して話し続けてしまったがために、彼女を「私が聞いてあげるんだ」と言う気持ちにさせていたのなら、私にも責任はあります。
2割しか話せない人に、4時間も会うことは無かったんだ。1時間で終わりで別れてくればよかったんだ。
そうは言っても、いつか分かり合えない溝は亀裂を伴うでしょう。
30年、20年と言う時間の長さは、私にとって友達の有効期限切れを示す時間です。
なんでこんなにも長く付き合う友達と、もう会いたくない。と決断に至るんだろうか。
そこには、私にある他人が受け取る人間性があり、その人間性に対して、「そんな人間じゃあないけど」と言うギャップがマグマみたいに噴火する時期があるのかもしれません。
なぜなら仕事も心理も、共に同じ道を歩む人とは、話は尽きないものだからです。分かり合える人達とは、距離の置き方も程よいバランスが保てるように思います。