なんてこった。そんながくんとした気持ちになったささやかな、ものずごく庶民的な出来事がありました。

近くのスーパーに買い出しに行ったら、会計時に少し高くない、と不吉な予感がよぎるものの、そのままレシートを確認しないまま自宅へ。

 

パンの特売日だったので、食パンを1つ。葡萄パンを1つ。買ったのになぜか、食パンが2つの会計になっていて、ああー。特売のパンの意味なし。多く払ってしまった。愕然。

どうしようもない無念さにさいなまれる。

 

さらに惣菜を買ったのに、その商品のラップが破れていて、中身がほかの商品と触れていた。

こんなコロナ過で、大丈夫か。

いや、破棄するべきか。いや、安全なところだけ頂こう。愕然。

どうしようもないやるせなさ。

 

6個入りの卵を購入。冷蔵庫に入れる時に、手元が滑り床に落としてしまった。1個無駄にしてしまいショック。

 

でも、朗報が156円の煮豆が、128円にレジで計算されていたので、パンの追加分と差し引き、120円の損害。

120円のために、もう一度、スーパーに戻る気力もなく、そのままに。

 

更には庭の万両の木にたわわに実っていた赤い実が、見事に鳥さんに食べられていた。見るも無残な寂しさに万両が可愛そうで。

 

今日は厄日だ。こんな日があるんだなぁー。

 

そして翌日。近くのコンビニへコピーを取りに行く。10円分のコピーを済ませると、おつり500円の字が点滅。

前にコピーした人がお釣りを取り忘れているらしい。

500円。ほんの一瞬悪魔の気持ちがよぎるが、500円玉をカウンターへ届ける。

「前の人がお釣りを取り忘れていたみたいです」と伝えると、店員さんは、「いや、そんな真面目に…」なんて気持ちでいたかどうかわからないけれど、渡した500円玉をポーンと箱の中に投げ込んだ。

 

いやいや、せっかく届けた500円、もう少しありがたく対応してほしい感じがしましたが、そんなもんかな。と心に隙間風がすーと過ぎて行く。

 

神様の配慮で、先日のパンの不足分にいろ付けて、そんな偶然に出会ったのかもと思いきや、いやいや、神様は試していたのかもしれません。

交番に100円拾って届ける少年のような気持ち。

そんなにピュアではないけれど、ただ、あのまま500円を握りしめていたところに、前にコピーを取った人が、慌てて戻って来るなんて、そんな状況に、心なしかざわめいてたまでの話。

届けて良かった。帰り道なんか空を仰ぎ見たくなる自分がいました。